[社会] 長居公園テント村のその後
──長居公園仲間の会 鍋谷美子
「そら暮らしはしんどいよ」
長居公園テント村が行政代執行により無くされてから半年、八月二五日に排除の理由と目される世界陸上の開会式が行われた。当時テント村に住んでいた人たちは、今どうしているのだろうか。
「私は私なりに必死に自立してきました」弁明書でそう語った田渕孝治さん(仮名・五〇才)。彼は現在、平日は毎日、朝八時から夕方五時までの常勤の仕事に就き、アパート暮らしをしている。道のりは決して平坦ではなかったのだが、一応安定した生活を得られたのは「長居公園テント村で暮らしたことが大きかった」という。「もし自立支援センターに行ってたら、期限内にあせって(仕事を)探して、住み込みかなんかの仕事で無理して、辞めて、また野宿ってことになったんちゃうかな」と振り返る。
強制撤去で住むところを失ったのち田渕さんは、テント村で知り合った元野宿の知人のアパートで世話になった。まずは、仕事を探した。とりあえず休憩も食事もなしで一〇時間連続で働くなどの悪条件の仕事に就いた。いつまでも厳しい生活を強いられている知人に世話になるわけにはいかないからだ。さりとてその仕事を続けたままで、自らアパートを借りるということもできるとは思えなかった。
仕事をしながら必死に次を探し、たまたま見つけたのが現在の職場だ。プロの調理師だった田渕さんに、ぴったりの仕事だった。「ホントね、運が良かったよ。住ませてくれてた知人がいたから仕事を探す余裕もできたわけで、すごく感謝してる。この出会いもテント村やからなぁ。」
小森久夫(仮名・五五才)さんは、強制撤去の最後までテント村に残ることこそ決めていたが、その後の行き先をずっと決められないままでいた一人だった。
結局、西成公園に移ることで落ち着いた後も、眠れぬまま荷物の整理に追われ、当日も何人かの支援者とともに、自分のテントで頑張っていた。当日緊張と異様な雰囲気の中、下痢をしていた小森さんの愛犬も、西成公園に移り、一旦は落ち着いたようだ。
しかし、生活は厳しくなったと小森さんは言う。住む場所が変われば収入も変わる。とくに西成界隈はカン取りの競争率が高い。「そら暮らしは、しんどいよ。」
テント村があった場所も見に行った。「あんな(遊歩道のようになっている)工事なんかいらんかったやろ。誰も使ってないやんか。追い出すためなんは明らかや」。悔しさで顔が曇る。