[海外] 逆境を変革の力に反転させた南米
南米から送られた変革のための回路
ラテンアメリカの進歩的政府は、南米共同市場の創設などを通して連帯を強めつつ、USA政府の覇権主義に抗う、各国の主権国家としての「自律性」の再確立を試みている。しかし注意すべきはラテンアメリカの「進歩的政府」と諸々の社会運動は、一つの同じ闘争における代表関係として捉えうるものではない。−本紙1266号で廣瀬純氏は、語った。それは、「自律性」をめぐる両者の相違にあるとの主張だ。
参院選で自民党が惨敗し、民主党を中心とする政権交代もあり得るなか、国家に回収されない自律的な共同体の構築をめざす中南米の社会運動から日本に住む我々が学ぶべきものは何か?再度廣瀬氏に語って頂いた。3回連載の第1回目。(文責:編集部)
先進国としてのラテンアメリカ
日本、とりわけ小泉政権以降の日本に暮らす私たちが、中南米の社会運動から学ぶ重要な点は、南米左派諸政権の政策や言説には還元され得ないレヴェルで、社会運動が何を試みてきたのか、何を試みているのかということです。
ラテンアメリカ諸国でのネオリベラリズムの導入は、日本での中曽根政権による「第一次」ネオリベラル改革(小泉政権から始まったものを「第二次」ネオリベラル改革だとするとすれば)とほぼ同時期―要するにサッチャー・レーガン時代です。ラテンアメリカ諸国と日本を比較してその後の歩みに違いがあるのは、ラテンアメリカ諸国では、いわば中曽根政権の後にそのまま小泉政権が続くというようなことが起こったからだと言えるかもしれません。
そのために、ラテンアメリカ諸国は、結果として、日本よりも少なくとも一〇年は先を行く、まさしく「先進国」となったわけです。日本に暮らすぼくたちがラテンアメリカの人々から学ぶべきものがあるのは、なによりもまず、彼らが「先進国」の住民だからです。
政府による運動の「吸収」
ラテンアメリカ諸国では、今日の日本とは正反対に、貧困家庭を対象とした「生活保護」「最低所得(ベーシックインカム」あるいは「失業手当」といった社会制度は、拡充される方向に向かっています。(この意味でも、生活保護などの社会支出の切りつめのまっただなかにある今日の日本と比べてラテンアメリカ諸国は、とてつもなく先を行っています)。
しかし、それは、いくら「左派」的な動きに見えようとも、左派政権の誕生で始まった制度ではありません。多くの場合、そうした社会制度は、一九九〇年代のネオリベラル右派政権が運動の沈静化をはかるために導入したものであり、それが多少なりとも拡充されるかたちで左派政権によって継続されているに過ぎないものなのです。
これら社会プログラムの拡充も、もともと運動の側からの要求に応じて行われてきたものだと、とりあえず言うことができます。しかしながら、こうした社会プログラムは、必ずしも運動を豊かにするものとなっておらず、正反対に、ラテンアメリカの多くの国においては、各地での自律的な共同体の構築プロセスを頓挫させるものとして機能しています。
要するに、多くの場合、これら社会プログラムは、政府による運動の「吸収」、あるいは、運動そのものの解体を導くものとして機能しているということです。