[情報] ベーシックインカムと新「生=経済学」/評者・村澤真保呂
「生きていることに報酬を」
かつて「平等」という近代の理念に敵対する「悪」であった「格差」は、しだいに「必要悪」あるいは「善」とされるようになった。反対に、かつて「善」であったはずの平等は、いわば「不要善」あるいは「悪」とされるようになった。議論の争点は格差の程度をめぐるものとなり、格差の是非ではなくなった。もはや批判者でさえ、格差の存在を最初から受け入れ、前提とするようになってしまった。
こうした時代にあって、「VOL」2号の特集「ベーシック・インカム――ポスト福祉国家における労働と保障」は、ありきたりの格差社会の批判とはまったく異なり、平等が善であることをまったく自明のものとして、あくまで平等な社会を達成する具体的方法論を提案していることに特徴がある。つまり、格差を認めたうえで現状を批判するのではなく、最初から格差の存在を認めないのである。それどころか、平等を達成するための具体的な政策の提言さえも試みている。読者は、このようなストレートな主張に戸惑いを覚えたり、一種のアナクロニズムを感じるかもしれない。しかし、世界を見渡してみれば、ここで述べられている多くの主張はそれほど非現実的な主張でもないし、時代錯誤でもない。
ベーシック・インカムとは、「すべての人が、その生を営むに必要な金銭を無条件で保障されることへの要求」である。そして「人は生存というただ一つの根拠をもとにしてベーシック・インカムを要求」することが認められるべきであり、働いていても働いていなくても人々には生活に必要な金額が与えられるべきだ、という主張である。このような主張は、一見するときわめて非現実的なもの、あるいは反道徳的なものに映る。というのも、われわれは「働かざるもの食うべからず」という言葉を当然のこととして受け入れているからである。しかし、それは本当に当然のことなのだろうか?
現在でさえ、賃金とは自分がおこなった労働の量(時間)や自分にそなわる技能にたいする経済的評価であると多くの人々は信じ込んでいる。そして労働運動は、自分の労働の価値にみあった賃金を要求しつづけている。