[社会] フリーター自身が語る「働く場」づくり
究極の貧困=野宿生活に追いやられる若者たち
六月、雑誌「フリーターズフリー」(以下、FF)が発刊された。フリーター当事者が「自分たちのことを自分たちの言葉で考えるアリーナにしたい」との発刊趣旨だ。雑誌発行をひとつの共同事業ととらえ、少しずつ金を出し合い事業協同組合=「有限責任事業組合フリーターズフリー」を設立した。同事業組合は、フリーターの「働く場」作りの実験だという。 同事業組合の出資者=組合員であり、執筆者のひとりでもある生田武志さん(四三歳)に、事業体設立の経緯や目的を聞いた。生田さんは、日雇い労働をしながら執筆活動を続けている。(編集部 山田)
日雇い労働者がリハーサルしフリーターが本番に挑む「野宿」
──事業設立の動機は?
若者の不安定就労問題については、まず若者の「やる気」や心理の問題に解消している論調が登場します。これに対しては何か発言する必要があると他の仲間も感じていました。
「雇用構造」の問題を指摘する論者にしても、ほとんどが学者で、正しいんだろうけど、当事者が置き去りにされてると、感じていました。
そこで「自分たちの問題を自分たちの言葉で語ろう」というのが、出発点です。
──「事業組合」という選択について。
小規模で新しいアイデアを持って事業を起こすには都合のいい制度でした。雑誌の発行を単に自分たちの主張を発表するだけではなく、仕事作りとして取り組むという試みです。
不安定就労問題の解決は、労働運動によって条件を向上させたり、行政に働きかけて労働法制を改善させるなどの方法がありますが、もう一つのやり方が共同での起業です。利益を目的にした雇用・被雇用という関係ではなく、社会的貢献と収益性を両立させようとする社会的起業を共同で行いやすい形態です。
FFは、個々人の状況に応じて数十万円ずつ出し合って起業しましたが、有限責任なので、大赤字が出て、一生借金を背負うというリスクがありません。再起が可能なのです。
また、一人一票制の内部自治で、業務分担や権限について構成員で自由に決定することができる柔軟性を持っています。また、「共同事業性の要件」として、すべての組合員が業務執行を行なう権利義務を持ちます。これが株式会社と最も異なる点です。
──日雇い労働者になった経緯は?
京都での学生時代、釜ヶ崎の報道番組を見て衝撃を受けました。京都から電車で一時間の距離に、これほど多くの人が路上で寝起きし、バタバタ死んでいく。「日本にもこんなところがあるのか」、と驚き、現地に足を運んだのが最初です。
学生時代の後半は、年間のうち半分くらいは日雇いしながら釜ヶ崎で生活をしてました。この頃にもう釜ヶ崎で生きていこうという方向が固まっていったのだと思います。以来二〇年間、日雇い仕事を続けています(現在は日雇いで、野宿者対象の特別清掃事業の現場指導員)。
釜ヶ崎や野宿の現場には、独特の魅力があります。確かに貧困や悲惨が溢れていますが、人間関係で形式的な距離を作ったり、社会的地位を守るために頑張らねばならないという一般社会にある「しばり」が釜ヶ崎にはないからです。
──「フリーターが野宿に繋がる」とは?
今後、フリーター層が大量に野宿生活に入っていくと予想しています。二〇〇〇年頃、釜ヶ崎や山谷などの寄せ場が日雇い市場としては崩壊する中で、不安定雇用─野宿問題はなくなっていくのか?と考えた時です。
この頃、労働者派遣法の改正で日雇い労働が全業種に拡大しました。日雇い派遣は、今や二〇〇万人を超えています。こうした不安定就労層=フリーターが「究極の貧困としての野宿」にいたる可能性が高まっています。野宿は、日雇い労働者がリハーサルをして、フリーターが本番に臨もうとしているのではないでしょうか。