[投書] 言わせて聞いて第1279号
「ツルセ、コロセ」の長瀬法相 やるべきは厳罰化・排除ではない●東拘・和光晴生
ツルセ、コロセの長瀬法相が、昨年暮れの四人に続き、連休前の四月二七日にも三人を処刑させました。これで四ヵ月で七人の死刑執行です。私がいる東京拘置所三階では、昨年は七七才の老人が、今回は四二才の人が処刑されています。半年ごとにある定期転房で、二人とも隣り合わせになったことがありました。
七七才の方は眼底出血でも患ったのか、一年ほど前から左目をガーゼと絆創膏でふさいだままでした。四二才の人は、「何かをやっていたい」ということで、この数年、請願作業と呼ばれる袋貼りを房内でしていました。かなり汗ばむことから、冬でも上半身裸で作業をしていて、間質性肺炎を慢性化させてしまい、病舎から戻ったあとは布団のあげおろしをするだけで息切れするようになり、折角の日光浴の機会である運動所に行くこともしなくなっていました。二人とも病気がちということで「吊るし頃」と目をつけられてしまっていたのかも知れません。
七七才の方は、一九七五年の強盗殺人の件で八七年に死刑確定、それから二〇年後の処刑でした。四二才の方は八四年に最初の強盗殺人、それから数年間にさらに三人を殺害したとして、二〇〇三年に死刑確定、それから四年ほどで、四二才で処刑されています。
二〇年間も毎日処刑を待つだけとされた「生」、あるいは二〇才そこらで罪を犯し、それから二〇年がた獄中にあって処刑されてしまった「生」、それらは一体どんな「生」としてあったのか。
被害者となった方々の「生」もあわせ、何とも虚しく、いたましいものに思われます。房内で袋貼りに励んでいた姿を私は廊下の行き帰りの際に何度も目にしていました。死刑確定囚の人でも、希望者には作業所への「出役」は許可することはできないものか、と思ったものでした。
実際、そう希望する人は私の階の他の確定囚の中にもいるのです。袋貼りなんかよりはマシな額の「褒賞金」を得られるならば、被害者遺族の方々への賠償を果たすことにもつながるのではないかとか、あるいは刑務所民営化の流れに合わせ、所内作業も刑務官僚の天下り部門みたいなことにしておかないで、民営化することで生産性を高めることができないか、それで出所者もより社会復帰し易くならないものか、といったことまで私は考えざるを得なくなっています。
死刑確定囚の人たちにしても「賠償」とかが可能な条件ができれば、被害者遺族の方々との「修復の司法」といったことも実現できるだろうし、それで死刑廃絶にむけた環境も用意していけるのではないでしょうか。
ツルセ、コロセ、ナカセ法相は、死刑執行だけが仕事じゃないはずです。死刑が犯罪抑止とならないことは、若年者による殺人事件の顕著化によっても明らかです。
弱者切り捨て、敗者と異端者を排除し、犯罪者に厳罰を科すといった社会が「美しい国」であるはずがないのです。
最後に私事ですが、私の控訴審判決が五月九日にあり、「被告からの公訴を棄却する」とされました。上告審でさらに闘います。
スピリチュアルブームを批判する●愛知・藤原欽也
オウム真理教をめぐる問題は、サリン事件後十年を経ても何も解決されていない。
ただ、このままでは二〇一〇年以降、元信者被告の死刑囚の大量執行が予想される。私は死刑廃止論者なので何としても、そのような事態を阻止したい。
だからというわけではないが、最近の江原啓之スピリチュアルブームはどうしたものか。十年前のオウム教団は、空中浮遊や超能力を信者勧誘や宣伝に利用したので、テレビ局はそうした非科学的なものを肯定したオカルト番組は一斉に放送中止にしたのである。
それが今、「守護霊、前世、オーラが見える」という江原啓之のウソをテレビがそのまま放送してしまっているのである。ここ十年、マスコミは結局、オウム教団批判に終始しているのだから、なぜまた非科学、オカルトを持ち上げるようになったのか全く整合性がない。同様に細木数子の言っていることも全部ウソである。これらを批判しようとしない新旧左翼の罪も相当深いと思う。