[コラム] 米国で刑期終えた私を日本警察が逮捕することはできない/菊村憂
現在、東京拘置所に収監されている菊村憂さんは、四月一八日、一九年余の刑期を勤め上げ、一・五一jの所持金をもってコロラド州フローレンスの連邦刑務所を出所。日本への帰国便に搭乗した。帰国すれば、逮捕されることは知っていたという。
しかし、日本の公安警察による菊村氏の逮捕は許されるのだろうか?同じ罪状で、二度裁くことが許されるのなら、誰も「国際受刑者移送法」による引き渡しへの同意(受刑者自身の同意が必要)などあり得ない。「一事不再理」(憲法第三九条)は、国家間でも最低ルールなのだ。事実、フローレンス連邦刑務所は、菊村さんの滞在予定先の日本の住所に、所持品の郵送等の処理について菊村さんが要望した書面を送ってきている。アメリカの「常識」からすれば、同じ罪で日本の警視庁が菊村氏を逮捕するとは考えていないのだ。
菊村氏の弁護士によると「起訴は確実」と検事は語っているという。これで日本は法治国家といえるのか?菊村氏の帰国に当たっての声明(要約)を紹介する。(編集部)
4/10 菊村憂の日本社会への訴え
私は一九年程前の四月、合衆国ニュージャージィー州で、爆弾所持容疑で逮捕されました。その後、連邦裁判所でその罪とその時に使いました偽造日本旅券行使の罪で有罪となり、二六二ヶ月の量刑判決を受け、連邦刑務所でその刑に服役し、四月一八日に釈放されました。
日本政府・警視庁は、私が帰国するなら、私を日本赤軍の一員と断定し、一九八八年事件当時に使った偽造国際免許証使用容疑で逮捕する方針だと知りました。それは強制捜査権、逮捕権を恣意的に濫用した日本政府・警視庁による私への不当な弾圧・人権侵害であり、同様に私の友人・家族に対する家宅捜索なども不当なものです。それは次の四つの理由からです。
@言われている容疑事実は、一九年前私が有罪となり判決を受けた事件の一部を構成しており、二六二ヶ月の量刑にも当然に考慮されており、十分に罰せられております。
だから、この容疑事実について、一九年後の今になって、改めて私を刑事的に問い、処罰する根拠も必要性もまた社会的意味もありません。
A警視庁自身は、私の被逮捕直後にその容疑理由でもって私の両親の自宅を強制捜査致ました。事件直後、日本を訪問した合衆国FBI長官が日本政府に対して、「希望するなら、合衆国での私に対する警視庁の強制取調べを認め、それに協力する」と語ったことを当時の日本の新聞は報じていました。
また、当時から日米両国間では、犯人引き渡し条約もあり、日米相互の被疑者あるいは証人に対する強制取調を保障する条約も締結されています。
しかしながら、この一九年間、日本政府はそれらいずれの主権を行使せず、また一人の日本人領事官・外交官も私への接見を、私の収監されている刑務所に求めていず、手紙の一通すら私には送ってきませんでした。
すなわち日本政府・警視庁は、一九年前から十分に認識し、事件のための強制捜査権が保障・整備されているにも関わらず放置してきました。
つまり、日本政府・警視庁は、容疑事実に基づく私への強制捜査・逮捕は刑事的・法的に意味がないことを実質的に認め、そのことで私に対する強制捜査・逮捕権を事実上放棄しています。日本捜査当局自身が一九年も捜査を放棄してきた「事件」を今更問うことにどんな意味があるのでしょうか。