[社会] 不当な判決「カゲキ派に人権なし」
元日本赤軍・丸岡修氏名誉毀損訴訟
でっちあげ認定しながら慰謝料低く見積もる判決
一九八六年一一月。三井物産マニラ支店長だった若王子信行氏が誘拐され、身代金が要求されるという事件が起こった(若王子氏は翌八七年三月に無事解放された)。
この事件はフィリピン共産党の軍事組織、新人民軍(NPA)による行動だったという。この誘拐に関与したとされる一一人が九一年にフィリピン当局によって逮捕・起訴されたが、一〇人は保釈され、残る一人も「日本赤軍の協力があった」旨の供述内容を翻している。
事件発生から一六年後の、二〇〇二年一月二七日。読売新聞は全国版朝刊社会面に「若王子さん事件、日本赤軍の影」の大きな見出しとともに、丸岡修氏が誘拐事件に関与したとする内容の記事を、六段抜きで掲載した。
丸岡氏は、元日本赤軍のメンバーで、一九八七年一一月に東京で逮捕された。ドバイ日航機事件(一九七三年)、ダッカ日航機事件(一九七七年)におけるハイジャック防止法違反と、帰国時に使用した旅券が旅券法違反に問われ、一九九三年一二月、無期懲役の判決を受けた。二〇〇〇年三月に上告が棄却され、現在、宮城刑務所に下獄している。
読売新聞の「反テロ」扇動記事
問題の読売記事は、三井物産支店長誘拐事件を「日本赤軍が計画し、フィリピン新人民軍が実行した」ものであるとし、九州版では「丸岡受刑者動かぬ『物証』」とする見出しまでつけるという大きな扱いだった。丸岡氏が逮捕時に大量の航空券コピーと数十枚の一〇j紙幣を持ち、「この一〇j紙幣が支店長の身代金として支払われた紙幣番号と一致した」としていた。しかし、丸岡氏の所持品の中には、航空券コピーは一枚もなく、一〇j紙幣は二枚しかなかった。
「若王子事件の身代金の一部のマネーロンダリングを、香港のヤミの金融業者に依頼した」とも報じた。
そもそも読売の報道にわずかでも根拠があるなら、公安当局が見逃すはずはない。しかし、一九八八年頃に「丸岡、若王子事件に関与か」と盛んにマスコミを使って煽りながらも、公安当局は立件を見送っている。
二〇〇二年、丸岡氏はこの読売の捏造記事による名誉毀損に対し、謝罪広告の掲載と損害賠償を求める民事訴訟を起こした。丸岡氏は記事の悪質さについて次のように指摘している。
@全く存在しない「大量の航空券コピーと数十枚の一〇j紙幣の所持」などを「動かぬ物証」として報じた。A当局発表ではない、警察庁の元幹部なる男の伝聞ネタを、あたかも公式の発表であるかのように扱った。B「脅迫状投函、ポストの近くのホテルに宿泊」、「北朝鮮にまで足を延ばしていた」など、捜査当局はもちろん、「元幹部」すら言っていないことを読売が創作した。C八八年九月に警察発表により各新聞社が一斉に報じた「丸岡関与説」の折、他社は一貫して「疑いがある」にとどめ、警察発表自体が断定化は避けていたにも関わらず、読売のみが断定報道をした。その記事を更に脚色したのが、本件記事である。