[政治] 高知県/原子力政策破綻、東洋町長選で反対派圧勝
はじめに
「(国には)原子力政策の破たんを認めてもらいたい。核廃棄物処理の見通しもないまま原発を造り続け、ゴミを生み続けている。そんな無責任なやり方を小さな町が拒絶した」(沢山新町長)。
高レベル放射能廃棄物最終処分場立地に向けた文献調査応募をめぐって、事実上住民投票となった東洋町出直し町長選は、反核を訴える新人候補・沢山保太郎氏の圧勝(沢山氏=1821票、前町長・田嶋祐起氏=761票)となった。沢山氏は、「町長になって最初の仕事が応募の白紙撤回」と表明しており、立地調査は白紙に戻る。
町長選最終盤の東洋町を訪ねた。前町長の開き直りと隠然とした推進派の圧力のなか、地域のしがらみを解き放ち、反対運動はどのように形成され、町長選圧勝まで行き着いたのか?「女性パワーのすごさを知った」と新町長も絶賛する「東洋町の自然を愛する会・女性部」は、反対運動の推進力であり、町長選挙でも大きな役割を果たした。反対運動の過程をレポートする。(編集部・山田)
火付け役のサーファー
田嶋前町長が秘密裏に文献調査に応募していることが判明したのが、昨年九月。応募の話を持ち掛けたのは、NPO法人「世界エネルギー開発機構」の理事。同NPO法人は「国などが進めるエネルギー政策を支援する団体」(同理事)という。電力会社の別働隊として原発関連施設建設に関与する集団だ。
同理事は旧知の野根漁協組合長・桜井惇一氏を介して田嶋前町長に応募を勧め、田嶋前町長と漁協組合長は、応募書を原環機構(原子力発電環境整備機構)に提出した。
しかし、原環機構側は「町民や議会のコンセンサスが得られてない」と指摘し、応募書は差し戻される。
その後、前町長らが再応募を準備していることが明らかになったが、東洋町での反対行動は広がらず、「燻っていた」(反対派住民)という。理由は、町役場・漁協・農協・商工会幹部の一部では、すでに合意が形成されおり、人口三〇〇〇人余の町においてこの時点で公然と反対の声を上げるのは、地域のしがらみを断ち切る覚悟が必要だったからだ。
反対の声を最初に上げたのは、サーファーだ。東洋町の生見海岸は関西屈指のサーフィンのメッカ。地元のプロサーファー・谷口絵里菜さんは、文献調査応募が報じられた直後に「検討自体に反対」する陳情署を提出。一一月には、「生見海岸を愛する全国有志一同」を結成し、全国のサーファーに反対署名を呼びかけた。
署名総数=町内二二〇一筆(町民の七割超)町外三万五二一四筆、合計四万三五二八筆。署名用紙は全国のサーフィン・ショップでも取り扱われ、神戸からサーフィンに来たという川本弘さん(三五才)も、町長選挙の行方に注目。「私も神戸で署名した。新人候補が勝って核の持ち込みを止めて欲しい」と語る。
沢山陣営の事務局を担った西田裕一さん(四二才)も、サーファーだ。大阪で暮らしていたが、豊かな自然とざっくばらんな人間関係に惹かれて、隣町の海陽町(徳島県)に移住。この署名運動以来、東洋町に通って反核運動を続けている。
新町長となった沢山保太郎氏も室戸市民だ。東洋町の反対運動は、町内のしがらみのない町外のサーファーや周辺市町村市民から始まったといえるだろう。