[コラム] 沖縄、アメリカ、コスタリカで学んだこと/きくちゆみ
平和を創る旅
普段、鴨川の山間地で自給のための米と野菜を育てながら、環境や平和をテーマに講演や執筆をしているが、農閑期は毎年家族揃って世界各地の平和を創る仲間たちを訪ねる旅をしている。今年から娘が小学校に入学したので、家族揃っての長旅は、これで最後かもしれない。
最初に沖縄を訪れた。辺野古の美しい海を子どもたちに手渡すために、体を張って運動を続ける平良夏芽さんの「この基地を止められるかどうかは、どれだけ多くの人が自分にできることを探して、本気で動くかにかかっている」という言葉を胸に刻んで、一月一六日、ロサンゼルスへ旅立った。
ロスでの最初の日曜日、サンタモニカビーチで行われている「アーリントンウェスト」を見学した。イラクで戦死した米兵追悼の目的で始まったこのプロジェクトは、今や全米各地に広がっている。観光客でごったがえす海岸が、本物のアーリントン墓地を彷彿とさせるかのように、十字架で埋め尽くされる。
二年前にここを初めて訪れたときは一六〇二本の十字架だったが、その日は三〇四六本に増えていた。負傷者は四万三二八七人。「イラク人の墓標を立てたら、この海岸が埋め尽くされてしまうだろう」という言葉に涙。いったいなぜ、こんな戦争が始められ、続いているのか。どうして止められなかったのだろう。本気で私は動いたのか。くやしくて、悲しくて、涙が出た。
アメリカという国が数多くの戦争でこれだけの戦死者を出している事実。一方、憲法九条のある日本では、かろうじてこの六一年間日本人戦死者を出さず、他国の人を殺さずにきた。国民投票法が通り、改憲への道が加速しているが、私は九条を守り、生かし、世界中に輸出したい。
次はイランを攻撃しようとしている戦争中毒のアメリカに効く薬はなんだろう?と、「アーリントンウエスト」を見ながら、考えた。
「戦争中毒」が高校歴史副読本に
そんな時に朗報が飛び込んできた。なんと、あの『戦争中毒』がサンフランシスコ教育委員会の全会一致で高校の歴史副読本に選ばれた、というのだ。詳しく取材するために一路サンフランシスコへ。
一月二七日、イラク反戦デモがサンフランシスコで行われた。その際、『戦争中毒』をアメリカの教科書に、と働きかけ、成功させたパット・ガーバーさんとお会いした。彼女は教育委員会のメンバー一人一人に『戦争中毒』を手渡し、説得した。「今までのアメリカの歴史教育があまりに偏っているのだから、これで少しだけバランスが取れるわ」とガーバーさん。
しかし、黙っていなかったのはフォックスニュース。一地方の教育委員会の決定を全米ネットのニュースで取り上げ、『戦争中毒』を「嘘ばかりの左翼プロパガンダ」と、こき下ろした。コメンテーターが次々と『戦争中毒』を罵倒し、サンフランシスコ教育委員会を批判したのだ。
そうしたら何が起きたか。翌日から『戦争中毒』の出版・販売をするフランク・ドリル氏の電話は鳴りっぱなしで、注文が殺到。これで『戦争中毒』がアメリカで大ブレイクになるかもしれない。フォックスよ、ありがとう!
これまで、アメリカの反戦デモを数多く取材してきたが、今回目立ったのは、九一一事件の再調査を求める人たちと、チェイニー副大統領とブッシュ大統領の弾劾を求める人たち。今や毎週のように、反戦集会やデモ、九一一の真実を求める会議などが全米各地で行われている。その結果が次の大統領選挙に反映されるといいのだが。