[社会] 長居公園、野宿者強制排除に芝居で抵抗
長居公園仲間の会 中桐康介
セリフに思いのせ
「ワシは芝居で闘うで」―強制排除を前に、長居公園で野宿生活をして一〇年になる六〇代の男性がつぶやいた。「六年前(サッカーW杯開催時の排除)は全体での話し合いがあったが、今回は一切ない。今回の市のやり方は許せん」
「おれはな、言葉では言えないから芝居で言うんじゃ。芝居の中に言いたいことがつまっとんねん」とは、人民新聞紙上で弁明書を紹介した久原さん(五〇才・仮名)。
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なぜ「芝居での抵抗」か。
テント村の住人は数年間、地域の人々と共存しながら暮らしてきた。怒鳴り込みにきたオヤジもいれば、石を投げつける子どももいたが、カンパ物資を届けてくれたり、焚き火にあたりに来る人もいた。パンクした自転車を直したり、火事で焼け出された飼い犬を預かったりもした。ぼくらが畑で作った野菜を地域のおばちゃんたちが買ってくれた。争いや対立ではない、「普通の」日常生活とご近所づきあいがあった。
公園事務所の職員とも、昨年一〇月の「告示」までは世間話をしたりと、いちおう表面的には、和やかにつきあってきた。「最後にはケンカしやなあかんねん。それまでは仲良うしようや」と声をかけた。
だから、強制排除の場面で強調される対立構図だけではないものを、何か表現することができないか、争いではなく話し合いを求める思いを市職員とガードマンに伝えることができないかと考え、真剣に話し合った。
長居公園仲間の会にとって、夏祭りや地域のおまつりなども含め、七年間の様々な活動の中で出会ってきた若者や、音楽・演劇に携わる人々とのつながりは、貴重な財産であり大きな特徴だ。これを最大限に生かした抵抗闘争をと考えた。抗議行動の中で全体の一部として埋もれがちなテント村に住む「当事者の出番を」、とも考えた。個人的には、香港WTOへの抗議行動の際に出会って衝撃を受けた、韓国の労働者・農民の、多彩で感情表現の豊かな闘いを目指して、という思いがあった。
「争いや対立だけではないものを、目に見える形で表現する」それが芝居での抵抗のテーマだった。「ぴっぴー、わっしょい!」と「シュプレヒコール!」だけじゃつまんないし、表現としても受け取られ方としても一面的すぎるでしょ、ってこと。