[海外] パレスチナ/消えてゆく希望
──ガッサン・ハティーブ ビターレモンズ電子版(二〇〇六年一二月四日)
編集部より
ガザ休戦成立が日本の新聞でも報じられているが、休戦協定が署名されたわけでも、ガザ封鎖や米・ヨーロッパのハマス政権への経済制裁が解かれたわけでもない、奇妙な「休戦」である。一つの見解を訳する。
停戦の意味
先日公表されたイスラエル・パレスチナ間の「休戦」は、政治折衝も署名協定もないという点で、これまでの数多くの休戦とは異なる。しかし、不安定ですぐに崩れるだろうという点では、過去の休戦と同じである。休戦が発表されたとき、パレスチナ人やイスラエル人だけでなく、世界の人々もそれを歓迎した。ただ、休戦を支える政治折衝がないという点を気にしながら。
パレスチナ・イスラエル関係には空白というものがなかった。絶えず紛争か交渉かのどちらかであった。何しろ双方ともそれぞれ実現したい目標があって、それを捨ててまで妥協する気は毛頭ないからである。
パレスチナ人の場合は、どんなことがあっても占領を終わらせたい目標があり、時にはそれを武装抵抗で、時には政治交渉で実現しようとしてきた。いくら挫折しても、独立と自由への希求を諦めることはなかった。他方、イスラエルは、占領を強化し、様々な次元でパレスチナ人支配を完成したがっている。これは軍事作戦で追及する場合もあるし、できれば政治交渉で実現したい。
そういう状況だから、当事者が紛争解決へ向かって交渉をする可能性がない休戦は、すぐに崩れるものと、誰でも容易に推測できる。現にもう崩れかけている徴候が見えている。政治折衝がないから、両者の間にある諸問題がそのまま放置される。極度の貧困と不満を日々再生産しているガザ封鎖はそのままだし、西岸地区では相変わらずイスラエル軍による逮捕と殺戮と、一般住民への行動制限が行なわれているばかりでなく、入植地拡大が国際法を無視して続行されている。だから、パレスチナ人にとって、休戦とは、イスラエルが犠牲を払うことなく占領と占領につながるあらゆる不正を行なう手段と映る。一方イスラエルにとって休戦は、パレスチナ人が次の抗争へ向けて武器集めをする時間稼ぎに映る。
こんどの休戦で新しい面といえば、イスラエルの政治的・軍事的対抗者がハマスで、占領地の外にあるハマス指導部が、休戦を指示できる力があることを誇示したぐらいのもので、その意味でハマスの短期的な政治力を示した点であろう。同じことがイスラエル側にもいえる。ガザからイスラエル南部へのカッサム・ロケット砲撃は、オルメルト政府にとってかなりの住民からの圧力になっていたが、その圧力を減じる意味でも休戦は望むところである。