[コラム] バカバカしい総裁選、お世継ぎ出産報道を批判する/山村千恵子
この夏、秀作ぞろいだったNHKを応援する
安倍晋三ら自民党政権のチェックを受けて報道内容にハサミを入れたこと。出張旅費の着服や番組製作費詐欺など度重なる不祥事発覚に非難ごうごう、受信料拒否が広がるばかりのNHKだ。とりわけ今は、電源を入れると、自民党総裁選挙とお世継ぎ出産祝賀…見るものがないとスイッチを切る。
いやいや、実は探せば見るものはある。選んだ番組を録画予約して、好きな時間に見ることにした。
この夏はとりわけNHKスペシャルがよかった。八月六日(日)「調査報告・劣化ウラン弾〜米軍関係者の告発〜」、八月七日(月)「硫黄島玉砕戦〜生還者六十一年目の証言〜」、八月一一日(金)「満蒙開拓団はこうして送られた〜眠っていた関東軍将校の資料〜」、八月一三日(日)「日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか〜」、八月一四日(月)「日中は歴史にどう向きあえばいいのか」、八月一六日「世界へヒロシマを語り継ぎたい」。
NHKスペシャル以外も、教育テレビで九月二日(土)ETV特集「祖父の戦場を知る〜伝え残そうとする者たち〜」、そしてBSハイビジョンでは、八月五日「ぼくはヒロシマを知らなかった〜平和記念公園物語」、八月六日特集「爆心地復元」、八月九日「取り残された民衆〜もと関東軍兵士と開拓団家族の証言〜」、八月一九日BSドキュメンタリー「満蒙開拓団〜ある家族の奇跡〜」。
軍隊は国民を守らない
録画しなかった秀作を加えると、紙面がふさがってしまう。何より「個人」に焦点を当てて取材しているのがいい。満蒙開拓団については、関東軍将校・開拓団家族・残留孤児のそれぞれを複数の報道で取り上げ、六〜七〇年を経た日記と、体験者の証言によって輻輳的に当時を再現していた。
関東軍将校・東宮鐵男が残した百点あまりの記録によって、満蒙開拓民を送る計画がどのように立てられ実現されていったのかが明らかになった。遺族によれば、終戦のとき、東宮の残した書類をすべて焼却するようにと軍から指示があったが、残しておいたということだ。
東宮が移民計画を思いついたきっかけは、一九二〇年、シベリヤ出征時に目にした国境警備のコサック隊だった。満蒙開拓団は南米移民などとは全く違う発想から生まれた。対ソ防衛隊、いわば近代版「防人」である。
三二年秋、在郷軍人で編成された「武装農業移民」四九二人が佳木斯に到着する。移住地全面積の半分は既懇地、そこで耕作する中国人を立ち退かせての入植であった。立ち退き料は一人当たり五円、初任給が三〇円の時代の話で、現在の価値にして二万円にも満たないそうだ。当然立ち退かされた中国人の反日感情は沸騰し、開拓団と現地民とは出発点から敵対する。東亜勧業が極秘に移民団の暴虐ぶりを報告書に記している。「鶏豚ノ強奪、無銭飲食、路上ノ暴行甚シキニ至リテハ強盗強姦サヘ行フモノ生スルニ至リ地方民ヨリハ蛇蝎ノ如ク忌ミ嫌ハレ匪賊ヨリモ恐ロシ」
しかし移民団は二次三次と送られ、やがて大々的に家族を伴った満蒙開拓団となっていく。計画では二〇年間で百万戸、五百万人の日本国民を移住させる予定だった。青少年義勇軍も送り込まれる。開拓民は土地を失った現地人を低賃金で雇い、大規模な農地を開墾し耕作するようになる。
挙句はソ連軍の参戦によって、二七万の開拓民のうち八万が帰らざる人となった。軍属とその家族を乗せた引き上げ列車が発車すると、駅には火が放たれた。日本軍の手で家族を殺された残留孤児・内海忠志を追う「満蒙開拓団〜ある家族の奇跡〜」につながっていく。
淡々と語られても映像はリアルに迫ってくる。軍隊は国民を守るものではない。勝つことを最大の目的とする代表選手なのだ。期待を担って試合に臨めば、応援団を振り返って試合を放棄することはありえない。一般国民の命には補給線の役割以上の価値はない。
ばかばかしい総裁選挙報道や「女児でなくてよかったね」と祝賀する番組を批判しよう。しかし地道な取材で事実をありのままに伝えてくれる報道を選んで見て、応援しようと今は思っている。