[海外] レバノン/イスラエル戦争の実態
──フリーライター 谷矢健
ヒズボラもレバノンも屈服しません
停戦五日目の八月一九日。避難先のベイルートから八人の家族とともにビント・ジュバイルに戻ったコンピュターエンジニア(三九)は、ティールで野菜や食糧を買い込んできた。そして私に訴えかけてきた。町には政府職員はおろか、国連関係者すらいない。
「シオニストがすべての問題です。帝国的政策でナイル川からチグリス川まで奪うことを目指しています。ヒズボラはそれに対するレジスタンスです。これは防衛の戦いで、敵の攻撃に応じたものです。また(攻撃は)来るでしょう。でも、ヒズボラもレバノンも屈服しません」
ビント・ジュバイルは、東西南にイスラエル領に突出した南レバノン山岳地帯の中心都市。町の南西、南東ほぼ七`がイスラエル国境。軍事的要衝であることは一目でわかる。日本で観たBSニュースでは、「イスラエル軍に二回占領された」と報じられていた。
しかし、現地に立つと違和感があった。家々は瓦礫と化しているが、交戦の痕がない。一部に銃砲撃の痕が見られるが、戦場に必ず散乱しているものが無い。薬きょうが一個も見当たらないのだ。
ティールからビント・ジュバイルまで、どの村も激しく破壊されていたが、弾痕跡がほとんど無く、「交戦」の痕跡が無かった。そしてビント・ジュバイルも最前線ではなかったのだ。
さらに一`南の村・ハヌーンに向かった。丘を越えるとハヌーンだが、南東の村アイン・エベルを回り、周辺を観察しながら進んだ。家々やモスクが破壊されているが、やはり「交戦」の跡が見られない。パレスチナ人ドライバーはビント・ジュバイルも初めての土地。さらに南へと太陽の位置と人づてで走った。
国境二〜三キロの「進撃」だったイ軍
そこで次第にレバノン戦争の実情が見えてきた。最前線はビント・ジュバイルを中心に環状に広がる東南の村々。いずれもイスラエル国境から二〜三`の村だ。
永い征服の歴史から家々には縦横一b程の狭い出入り口や地下室、避難地下道などが備わっている。ヒズボラは地下トンネルとそれらを活用して侵攻してくるイスラエル軍に抵抗していた。
イスラエル軍は一つの丘を占領するのに一週間以上かかり、次の丘から狙われながら下り斜面を丸見えで前進、急斜面を登って攻撃しなければならなかった。バンカーバスター、クラスター爆弾はこれら国境線から二〜三`の前線にばら撒かれたのだ。
さらにレバノン国家科学調査班のモハメッド・アリ・クウバイシによると、南部で深さ三b、直径一〇bの巨大な爆撃跡から放射能を検出、「イスラエルが放射能を発する爆弾を使用している」、と発表している。
ベイト・ジュバイルから直線で北東約五〇`、もう一つの激戦地と報じられていた町マルジャユーンは、南部より損壊が少ない。イスラエルがシリア領を占領しているゴラン高原北端から一〇数キロの町だ。平坦な海岸線のレバノン南西部でイスラエル軍は、国境線を越えていない。つまり、地上戦はビント・ジュバイル西方から南方にかけた幅約三〇`の戦線。深さは最侵攻地点でも四`あったかどうか。実情は国境から二〜三`しか進撃できず、そこが三三日間の最前線だったのだ。
「ビント・ジュベイル陥落」「ティール包囲」「リタニ川まで侵攻」。世界に流れた「報道」は何だったのか。
大統領選の中間選挙を控えた米国。軍事支援継続のために「勝利」の戦況報道が必要だったのだろう。
オルメルト首相の政治的名声とシャロン人気へのひがみから発動された戦争。しかし、戦争敗北はイスラエルの政治的混沌のみを晒した。法務大臣のセクハラでの辞任、カツァブ大統領のセクハラ疑惑。自軍の放射能に被爆する危険がある戦場に投入された三万の兵士の後方では、「世俗」政治が支配していた。