[社会] 大阪城公園野宿者強制排除 弾圧裁判で有罪判決
自分たちの暴力には知らんぷりの大阪市
今年一月三〇日未明、真夜中過ぎの靱公園は異様な雰囲気に包まれていた。
話し合い要求も法的手段も万策尽き、もはや翌朝に強制排除が行われることは確実だった。靱の仲間たち、市内・全国各地から駆けつけた仲間たちは、緊迫しつつも「最後までたたかおう」と励まし合い、夕飯を食べ、一息ついたところだった。
午前〇時をもって、公園が全面封鎖されるらしいという情報が入っていた。すでに、いくつかの小さい出入り口を除き、全周がフェンスで包囲されている。その出入り口もふさがれ、密室状態が作り出されるというのだ。市民の目も報道の目も届かないところで、大阪市はいったい何を行おうというのか。そんな思いを誰もが抱えていたその時、公園事務所職員が動き出した。
職員の部隊がチェーンで公園を「外から」施錠して回っていることがわかると、寄り合い場所である団結小屋の前に集まっていた皆が一番近い出入り口へと向かう。とても、黙っていることなどできなかった。
Yさんが逮捕されるきっかけとなった「事件」が起きたのは、その時だった。
施錠しようとした職員から「チェーンを奪い、別の職員にケガを負わせて公務を妨害した」ことが理由で、Yさんは翌日早朝から行われた強制排除の怒号のさなか、公安警察によって連行され、「傷害・公務執行妨害」で逮捕されてしまった。
「追い出しを止めようとして、無我夢中で振り回した。人に当たるとは思わなかったが、ケガをさせたことについてはすまなかったと思っている」Yさんの率直な供述は、当初から一貫していた。
それにも関わらず、彼が再び自由の身になれたのは、なんと一一六日後のことだった。身柄引受人をきちんと立てているにもかかわらず、保釈申請が「住所不定で逃亡のおそれあり」などを理由に却下され続け、第二回公判の翌日である五月二六日、ようやく保釈が認められた。しかも保釈金は二〇〇万円という法外なものであった。