[海外] 9.11同時多発テロ、何も知らされていない米国民2
広がり始めた真相究明運動
三月四日、私はペオリア市の公立図書館で、「イリノイ平和行動」グループ主催の「九・一一の真相」と題する集いに参加した。出席者は約五〇名。まず前回の記事でも紹介した「痛々しい欺き」(Painful Deception 〇五年二月・エリック・アフシュミッド制作)のビデオ上映があった。今回は、第一貿易センタービルから約三五〇フィート(約一〇六b)北に位置していた四七階建ての高層ビルに起きたことを紹介する。
──「第七貿易センタービル」(以下、第七ビル)と呼ばれたこのビルは鉄骨の建造物で、ツイン・タワービルの約半分の高さであった。このビルでは午前九時頃に火災が起こり、午後五時半にペント・ハウスが崩れるや否やビルの下から粉塵が舞い上がり、まるで爆破物による計画的なビル解体のように、直下に崩壊していった。
──第七ビルに航空機は突入していない。一つか二つの階の内部で小火事が起きたが、ビル全体を延焼する程の規模ではない。防弾窓も損傷はなし。この第七ビルには変電所があり、また二三階の「NY市危機管理センター」のため、NY市が一五〇〇万jかけて強固に造ったビルだったからだ。第七ビルは税金で建てられた政府所有の物件であったが、九・一一の六週間前に、ラリー・シルバーステイン氏がビルの借地人となった。彼はビル崩壊によって七〇億jの保険金を受け取った。シルバーステイン氏は〇二年の九月に公共放送TV局に出て、次のように語った。
「消防隊の署長から電話があり、消火できないと言われた。そこで、私は『なすべき賢明なことは、手を引く≠アとだ』と伝えた。消防隊は引く≠アとを決定し、私たちはビルが崩壊していくのを見守った」。
引く≠ニは業界用語で、爆発物による建物の解体を意味する。専門家によればビル解体には二週間から二ヵ月の準備が必要である。
──九・一一調査委員会報告書(〇四年七月に発表。以下、「報告書」)は、第七ビルの崩壊について、一言も触れていない。(注@)
──報告書ができあがる前の〇二年五月までに、崩壊した貿易ビルの残骸はスクラップとして中国などに輸出された。調査が終わらない内に証拠物件を廃棄した政府は、法律に違反する。