[政治] 山村からみる日本の現在/市町村合併がもたらすもの
はじめに
今年1月1日、私が暮らす大江町は、近隣の三和町、夜久野町とともに、福知山市に編入合併された。合併がもたらす影響はまだ1ヵ月しかたっていないのでよく判らない点も多いが、今日までに明らかになった問題点を挙げて考えてみたい。
「アメとムチ」による強制合併
まず第一に合併の動機が、住民が自主的に進めたものでなく、小泉内閣の事実上の強制によるものである点である。合併の動きは一九九九年小渕内閣の地方分権一括法に始まるが、森内閣の時に「三二〇〇余の市町村数を一〇〇〇にする」という合併の数値目標が示された。そして小泉内閣に変わって二〇〇一年、いわゆる「骨太の方針」を閣議決定し、その中で、「市町村合併を強力に促進」するとした。小泉内閣は合併特例法による財政支援の適用の期限を二〇〇五年三月(のち二〇〇六年三月)まで延期する一方で、合併しない場合は地方交付金を大幅に減額するというアメとムチ政策をとった。合併以外の選択肢を町村に与えない形で、合併が事実上強制されたのである。
自民党の圧力、住民投票拒否
第二に、合併の手続きは住民の意思を無視して進められた。住民の多数が求めた合併の是非を問う住民投票の実施がないまま、編入合併が強行されたのである。
二〇〇四年、大江町が一市三町の合併協議会に参加することを決定すると、住民は合併の是非を問う住民投票を求める署名を集め始めた。私も以前から町が開く合併説明会などで、繰り返して住民投票を求めてきたから、北原で署名を集めた。
合併が実現されてしまうと過疎の山村が行政から切り捨てられる恐れが強いためか、自民党支持の人を含めて、九割の人が署名してくれた(その割合は地区別に見て、大江町の中でも最高だった)。大江町全体でも、三分の二に当たる三一四三名の署名を得て、町議会に住民投票条例制定を請求した。
ところが町長は「住民投票と議会の判断が分かれるのはまずい」と条例制定に反対し、町長の意を受けた町議会も間接民主主義を楯にとり条例案を否決した(条例賛成五、反対八)。間接民主主義は否定しないが、町会議員の選挙は、合併のみを争点として行われたのではなかった。したがって地域の将来を大きく左右する選択については住民投票で決定すべきだ。
そこで住民側が住民投票を拒否した町長へのリコール請求の署名を集めると、有権者の三七%の賛同を得ることができた。リコール請求成立に対して町長は突然辞任。二〇〇五年一月、前町長と住民投票派の推す候補者の一騎討ちの選挙となった。
前町長の陣営は、リコール署名をした住民に恫喝をかけると共に、京都府北部選出の野中広務元代議士や、「次期首相候補」との呼び声も高い福知山選出の谷垣財務大臣の応援を受けて当選を果たした。
このように、合併は政府・自民党の圧力のもと、住民投票さえ実施されないまま強行された。