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更新日:2006/02/18(土)

[コラム] 遥矢当/バリアのない街14「事なかれ主義経営の害悪」

現場のもどかしさと怒り

「まず始めに言っておきますが、この施設の職員は、なってません。どうすればいいのでしょうか?」。彼は初対面の私に向かって助けを求めてきた。この特別養護老人ホームをつかさどる事務長は、自分一人ではどうにもならない所まで追い込まれていた。  昨年一一月、私は派遣会社から変わった仕事を頼まれた。それは神戸市東灘区にある老人保健施設の実態を調べて報告するという依頼であった。

同行した担当者は私に、「この施設のどこが良くないのか、レポートを送ってください」と横でささやく。さらに事務長は続けて「この施設の理事は、私が施設のために提言しても、全然聞く耳を持たないんです。何度同じ事を言ってもダメなら、辞める覚悟はできています」。初老の彼は、疲れ切った表情をしていた。あたかも彼は、「福祉における理想と現実は違う」とでも言いたい様である。聞けばこの事務長は、大阪市の児童相談所の出身で、施設を経営する法人に乞われて来たという。この施設の建て直しこそ彼の任務のはずである。説明には理解に苦しむ部分もあったが、とにかく通うことにした。

勤務初日の朝、私は早速暗い気分に陥った。利用者はおろか職員も私に挨拶をしてくれない。挨拶は福祉教育で最初に教えられるものである。私自身も新人の頃は、「施設の一日は挨拶から始まる」と教わった。専門学校で講師も勤めているという事務長は、私にこうした未熟さを伝えたかったのかもしれない。

仕方なく会釈をして回った私は、介護主任と名乗る若い女性からマニュアルを渡され、「その通りに働けば良い」とだけ告げられた。私は表向き派遣社員という事だったので、指示に従うだけの気楽な立場ではある。

しばらくして、ふと気付いた。朝食を食べた利用者はずっと椅子に座りっぱなしで、目が天井を泳ぎ続けている。何もする事がなく、日当たりの良くない施設の中で、テレビの音ばかりが響く食堂サロン。介護スタッフはそれを見ているだけで、入浴と次の食事の準備に専念しているのである。レクリエーションやリハビリなどもほとんどない。

不思議に思いつつ昼食の時間になると、介護スタッフからこんな声が聞こえてきた。「こんなんやから、職員は皆辞めはるんよ・・・」なるほど、確かにその通りである。介護スタッフもそれで良いとは思っていないのである。経営者の運営方針が「事なかれ主義」だから、職員も利用者も何もできないのである。結果、ここで暮らすお年寄りは、生活するというより収容されている雰囲気だ。職員のもどかしさは、やり場のない怒りにしかならない。事務長は、私に現場の代弁をしていたのだった。

施設では、現場が発する日頃の意見は、おおむね事務長などを通して理事に届く。けれどもこの施設の場合、集まった現場の意見を束ねる事務長は、話を聞かない理事にあきらめてしまっているのである。

けれど事務長は、施設の為なら何度でも理事なり行政なりに提言をし続けなければならないはずだ。事務長が現場のやる気を削ぎ、一人で諦めてしまうことは、結局高齢者が求める介護を諦める卑怯な振る舞いに過ぎない。

一一月が終わって、私は派遣会社にレポートを書いた。その中に事務長あての励ましも添えた。介護保険制度によって、施設経営は苦しくなる一方である。経営者が収入だけを求め「高齢者は元気で、施設の中にいてくれさえすればいい」と思えば無難ではあるが、施設の手によって高齢者の人間味は更に削がれていく。

そもそも人間の暮らしとは、「もしかしたら失敗するかもしれないけれど、それが豊かになるなら挑む」という積み重ねの日々だろう。施設が卑しく利益を追い掛けることになった今、介護は理想の暮らしを追いかけることを止めてしまった。私は、入居する高齢者の希望を奪うことが「虐待」と呼ばれないのが不思議だとも思う。「高齢者の尊厳」を謳う介護保険制度の改革など、施設の経営方針の前では脆い存在に過ぎないという現実がある。

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