[投書] 言わせて聞いて第1230号
実は私、あの歴史的な日あの場にいたんです 兵庫 K・Y
貴紙第一二二八号(一一月一五日)の「三里塚・損害賠償強制執行粉砕、ありがとう!わたしたちの勝利だ!」の法務省・国土交通省に対する声明」は感動的な名文ですね。
権力の非情、残酷な仕打ちに対し短期間で一億円以上集め、どうだ!これで文句あっか!と叩きつけ、この社会に不当な圧力、不合理、差別を許さない心ある人々がまだまだいる、捨てたもんじゃないなというのが、文面からあふれでています。
いまや死語になりつつあるカンパ・団結・闘争・正義というフレーズが生気を得て、五〇代の私にはノスタルジックな感さえあります。
なにを隠そう!実は私、あの場にいたんです。友人と闘争に参加し、集会場でアピールを聞いていた時、管制塔が占拠されたというニュースが飛び込み、その場が「ワオー」という叫びに包まれ、拍手がなり響いたんです。初心者の私は「何!何がおこったん?」とわからないままにも、その興奮の渦の中に浸っていました。
三里塚に行ったのは、初めてか二回目ぐらいのビギナーの私が、歴史的な日に出くわしてしまったんです。当時の手帳を見ると、持ち物=帽子、マスク、軍手、お金、注意事項=パクられたら五九一―一三〇一(ゴクイリイミオーイ)に連絡。(完黙!)と、メモってあり、今見ると、まるで遠足にいく小学生みたいと笑ってしまうのですが、「もし、捕まったらどうしょう」と大変緊張していたあの時の自分の姿、格好がよみがえります。
当時は、現地闘争に参加するんだ!という構えたものがあり、夜行バスで往復し、集会参加の後、デモと大変ハードでしたが、闘争への一体感が必然的に生まれてきたんですね。
私も含め、当時二〇代の若者が、今、五〇代のおばさん、おじさんになっており、憲法九条改悪しようという当時よりもっともっと恐ろしい時代になっているのに燃えてませんね、、、、。
バスでの現地闘争はきついので(!)自分の地域で九条守る活動やってます!
宮城の規制が拘置所にも悪影響 仙台・A
一七年四月に発覚した宮城刑務所での不正。それに伴い幹部や所長の入れ替えがあり、軍隊式行進を強要し、今まで許されていたことを片っ端から規制を始めてきました。それは仙台拘置所の規制にもなり、いままで許された事を全て不許可にする暴挙が目につくのです。面接をして話を聞くと、「今迄のが間違いで、正規に戻した」と言う言い訳では、誰も納得しません。
何故ならば、間違っていることを今まで何年もやっていたのです。国家公務員のやっている施設の中でである。きまりが二転三転してみたり、面接をした上で許してもらっても、その人だけで、他の職員に伝達がきちんとなされていないという運営で、隠れて何をされても許されていた事の表れなのです。
決まりが変わったりするのならば、前もってキチンと説明をするべきなのに何かあれば「面接願いを出せ」という。来るのは忘れた頃。これでいいのか!