[情報] 若者インタビュー
──中桐康介さん(27)
この理不尽な死は何なのか!
今年四月から日雇い労働を始めた中桐康介さん(二七才)は、長居公園(大阪市東住吉区)でテント生活をしている。週二〜三日解体など日雇い仕事をし、さらに二〜三日人民新聞社で編集を手伝う。
中桐さんが日雇いの仕事を始めたのは、自らも野宿者となって野宿生活者への追い出しや襲撃と闘い、野宿の権利確立と野宿生活を「一つの生活スタイル」として社会の中に根付かせたいとの思いだ。
中桐さんが野宿者支援を始めたのは、大学に入学した九五年の冬。学生寮の先輩から「釜ヶ崎越冬闘争」に誘われた。釜ヶ崎の存在も知らなかった。寒空の下で野宿する日雇い労働者、炊き出し・夜回り・ドヤ街。初めて見る光景だった。「豊かな日本で飢えや寒さで死んでいく人がいる」。ショックを受けた。
こうして釜ヶ崎に通うなか、「夜回り活動」で中桐さんが毛布とおにぎりを渡した野宿のおっちゃんが翌朝冷たくなっていた。「この理不尽な死は何なのか!自分は京都に帰れば暖かい布団も食事もある。このまま大学を卒業しレールに乗れば、安定した生活を手に入れられる。自分は彼らを殺す側に立つのかもしれない」。出会ってしまった野宿者の死は、日本の社会とその中での自分の立場を考え直すきっかけとなった。
〇一年、サッカーワールドカップ。会場の長居公園では、野宿者を収容するシェルターが建てられ、野宿テントの追い出しが始まっていた。大阪市は野宿者の追い出しを画策し、若者による襲撃事件も多発。中桐さんは、「釜ヶ崎パトロールの会」や「反失業連絡会」に参加していった。
でも当事者と支援の間の深い溝は埋まらない。善意の押しつけになっていないか?そもそも「支援」とは何か?〇二年、こうした問いを発した支援の学生で「聞き取り活動」を始めた。野宿生活に入った事情、生活面の苦情、活動をどう思っているか? 。
二ヵ月間の聞き取りと調査結果のまとめをするなか、野宿者は次々長居公園を去っていき、中桐さんは無力感で動けなくなる。「こんな活動に意味があるのか?自己満足だけじゃないのか?」野宿の現場に足を運べなくなった。
大学は休学し、悶々とするなか、越冬闘争の季節になってフラッと扇町公園に足を運んだ。「中桐!なんしとったんや、元気でやっとんか!よう帰ってきたな」野宿者からの励ましと叱責に心が和み、ホッと息をついてる自分を発見した。「ここが自分の居場所なのかもしれない」。大学退学、長居公園でのテント生活を決意した。