[政治] 靖国訴訟高裁/首相参拝違憲判決「だが台湾原住民の魂は取り戻せなかった」
──単福
はじめに
三度にわたる小泉首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受けたとして、台湾人一一六人らが、損害賠償を求めた控訴審判決で、大阪高裁・大谷正治裁判長は、「国内外の強い批判にもかかわらず、参拝を継続しており、国が靖国神社を特別に支援している印象を与え、特定宗教を助長している」として、憲法の禁じる宗教活動に当たると認定。高裁として初めて違憲判断をした。しかし判決主文は「「控訴棄却」で国側勝訴の形となり、被告=国の控訴は不可能。原告側は、控訴しないことを決定したので、判決は確定する。台湾訴訟に深く関わってきた単福氏より判決の評価を寄せて頂いた。(編集部)
原告・原住民らが求めた魂の奪還
今回の判決は、日本にいる人々にとって画期的な判決だという人も多い。小泉の参拝が首相として公的参拝であると認定されたこと、宗教的行為であると認定し違憲判断をしたことを見ればその意見は間違ってはいない。
しかし、台湾原住民が公判終了後の集会で国家的暴力であると発言したことの意味を考えなければ、この裁判で問うてきたことが片隅に追いやられてしまう。
この裁判で問われていたものは何であったのか。台湾原住民と日本人との間に違いはなかったのであろうか。
これだけの判断を下しながら、裁判は四秒で終わった。「控訴を棄却する!」これだけの発言のために裁判は開かれた。すぐさま廷内から抗議の声が上がった。傍聴していた遺族会―靖国神社側の人々は良い判決だと口にしながら出て行った。この時、誰も判決理由を知らなかった。判決内容が明らかになりこの立場は逆転する。
裁判長は何に気遣ったのだろうか。靖国や国側にだろうか。彼は良心のぎりぎりのところでこの判決を書いたのであろう。マスコミの反応は、サンケイ・読売を除くとこの判決を尊重するという立場が殆どで、小泉の靖国参拝に自重を求める内容で占められていた。しかし、原住民達が求めていたものは、こんな判決ではない。