[社会] 若者・仕事インタビュー第1回
連載にあたって
「労働」によって人間は猿から進化したとすれば、人間労働の歴史は、およそ1万年。一方給料を唯一の生活の糧として生きる賃金労働の歴史は、たかだか数百年。日本において賃労働が主流になるのは、100年にも満たないことになる。永い人間労働の歴史から言えば、資本主義的賃金労働は、ほんの一瞬ともいえる特殊な働き方なのかもしれない。
「フリーター・ニート問題」と言えば、あらゆるメディアが扱う「社会問題」となった。しかし、問題は、若者に限定されるような底の浅いものなのだろうか?彼(女)らの多くは、「二四時間たたかえますか」と仕事に明け暮れる親をもち、リストラで途方に暮れる父親を見て育った。リストラでクビになった会社人間は、会社に尽くした人生を悔いをもって総括する局面に立たされ、あらためて働くことの意味を自らに問う。「労働とは自己実現である」というまことしやかな主張も、ちょうどこの頃から流布されるようになった。このスローガンは働くことの意味付けが希薄になっている現状を、逆に表現しているのではないか。実際、こんな労働は、生活のためでなければ、する必要はないのではないかと思いながら働き続ける人々も大量に生まれている。
今回を第1回として、若者の仕事観をインタビューした連載を開始する。今や若者の仕事の主流となった派遣・パートという不安定雇用は、若者が選び取ったものではなく、財界の労働市場戦略として実施され、正社員になりたくてもなれない30歳代のフリーターも増加している。派遣・パート問題は、まず企業サイドの労働政策として検証の対象となるべきであって、若者の資質や仕事に対する姿勢・態度の問題として語られるのは、本質を隠した議論に他ならない。
人は、生活費を稼ぐために働く。しかし人は、金のためだけに働き続けることはできない。「社会的貢献」「自己実現」等何らかの意味づけが必要なのだ。若者は、仕事に何を求め、生きようとしているのか?そこから意味づけを必要とする現代労働の実態や新しい働き方を求める人々の生き方を紹介したい。(編集部)
四〇歳になってもこの仕事なのか…
「特にやりたい仕事もなかったんで、経理なら無難かな、と思って就職したんです」。平野充さん(仮名・二五才)は、大学卒業後、有名大手コンピューターメーカー関連会社の経理部に就職した。
新人研修の後、希望どおり経理部に配属されたが、そこは、三ヵ月で一〇s痩せる激務の連続だった。「退社時刻なんて意味がなく、水曜日はノー残業デーとか言ってましたけど、関係ありませんでしたね。月末の〆日が近づくと徐々に残業時間が増えていき、直前は必ず徹夜作業。月の決算が終わったら、報告書作成が待っていて、これが終わるとその間に溜まっていた日常業務を片づける・・・」とにかく常に走り続けている状態だった。
「辞めよう」と思ったのは、四三才の上司も若い平野さんと同じように残業しているのを見ていたからだ。「あー、俺は四〇才になってもこんなふうに仕事をしてるんだと思ったら、やりきれなくなった」という。就職後一年で退職した。