[コラム] バリアのない街10 「強制」と隣り合わせの介護
──遥矢当
戦争の記憶利用する施設介護
「てんのう〜へいか〜バンザァ〜イッ!」特別養護老人ホームの浴室は銭湯と同じくらい広く天井が高い。脱衣所では介護職員によって、大きな叫び声が響き渡っていた。そこでは高齢者が真剣な表情になって手足を掲げ、着ていた衣服を脱ぎ始めていく・・・。 もちろんこれは六〇年前の話ではない。私が五年前に横浜市の施設で介護をしていた時の話である。介護職員は時代錯誤も甚だしい掛け声を通じて、入浴前の脱衣介助をしていたのである。そのホームに入居している高齢者は認知(痴呆)症の人達を専門として対応する専門棟であった。だから身体的に不自由な人は比較的少ないが、身体を動かす事を忘れて失敗してしまう人達なのであった。
そこでこのホームの職員は「戦争当時を生きた人なら誰もがやったことだろう」と思い付いて、この掛け声で手足を動かす事を高齢者に思い出してもらおうとしたのだった。
今思うと恥ずかしい話なのだが私はそれを聞きつつ、釣られて「バンザァ〜イッ!」と声を挙げて介助に当たってしまった。するとショートステイ(短期入所)で利用していた女性の順番になると、その女性は頑なに脱衣行為を拒んでしまったのだ。私はこの女性に「脱ぎましょう」と促すと、女性は「申し訳ない」と小さな声で呟いた。もう一度改めて入浴を拒む理由を聞くと、「先生に申し訳ないのです」と今度はハッキリ聞こえる声で答えられたのだ。
先生?と聞いてその名前にハッとした私は、業務の終了後にケース記録の棚に走った。すると生活暦の中に「横浜市議会議員書記長夫人」と記されてあった。彼女が先生といったその名は、戦中に革新系政党の草創期に要職にあった人物だったのだ。彼女が拒んだのは入浴ではなく、「てんのう〜へいか〜バンザァ〜イッ!」という職員のかけ声だったのだ。
その日私は退社する前に彼女に謝罪に出向いた。すると彼女は一言「分かってもらえたんですね」と、ホッとして話した。彼女自身は当時、軽度で一般の人には区別が付かない程の認知症で、さらに話すと過去の記憶などは鮮明に残っていた。