更新日:2005/05/28(土)
[コラム] 脱暴力を呼びかける最終回/「豊かな時間」を持てない苛立ち
豊かさのキーワードは?
人を責める言い方をする人と、責めない言い方をする人と分けると、私は、日本では責める言い方をする人がとても多いように感じる。東南アジアを旅行した時も、私は同じように感じた。
仕事上のこともあって四月を休職の時として三週間、メキシコとキューバに行ってきた。貧しい人たちが多いのだが、人をののしる類の言葉をほとんど聞くことがなかった。これはいったいどういうことだろうか。
日本では「ののしる」とまではいかなくても、空気がトゲトゲしく感じたり、みんながイライラしていると感じることはしょっ中ある(私だけかもしれないが)。
しかし、メキシコやキューバの人々を見ていると、貧しいことが人をいらだたせるというわけではない。果たして、これはどういう事だろう?
それを説明するキーワードとは、──「時間」かな。
人生の中で、一日の中で、人はどれだけ「自分の時間」を持っているのだろうか?先進資本主義国の中で、「自分の時間」を持っている人はどのくらいいるのだろうか。
日本には「貧乏暇なし」ということわざがある。しかし、キューバに行ってみて、多くの人が、人生を楽しんでいるのを見た時、私は豊かさとか貧しさというのは、「物」や「金」ではないと実感した。「自分の時間」を持たない人が、他人と比較して、「物」や「金」をどれだけ持っているかに、自分の「幸福度の基準」を考えているように思う。
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