[社会] 釜ヶ崎/シェルターではなく仕事を!
──高齢者特別就労組合準備会/朝日建設争議団(大阪)/釜ヶ崎パトロールの会 松原秀晃
はじめに
大阪府と市が行政責任として九四年一一月から開始した高齢日雇・野宿労働者の失業対策事業である大阪府・市高齢者特別就労事業(特就)について、取り組みの報告と方向性について提起させていただきます。
釜ヶ崎の再編とフリーター問題
まず、特就の現状を考えるにあたって釜ヶ崎の基本構造をおさえておきたいと思います。釜ヶ崎の基本構造は、六一年第一次釜ヶ崎暴動を出発点にしています。ヤクザと官憲の暴力支配に対する釜ヶ崎労働者の積年の怒りが爆発したこの暴動を契機に、従来の日雇労働市場−労務支配の貫徹のために大阪府(労働)・市(民生)・府警(治安)・大阪市大(研究)・総評(労対)による五者連絡協議会(五者協)が形成され、七〇年「あいりん総合センター」が設立されます。
この建設日雇労働市場と労務供給事業という釜ヶ崎の基本構造の二つの側面は、八五年労働者派遣法制定を経てバブル経済の崩壊−大不況・大失業時代への突入とともに分裂・再編が始まります。
昨今のアブレ失業地獄と日雇労働市場の拡散の下で、労働市場としての釜ヶ崎は空洞化・棄民化が進みます。現金求人は二〇年前の五分の一まで減り、『日雇労働被保険者手帳』(白手帳)所持者は三分の一まで減らされています。
こうしたなか「震災復興特需」も終わり、九〇年代後半から大阪市内全域で野宿者も激増しました(三万人といわれる全国の野宿者の三分の一近くは大阪市内で生活しています)。
一方、八五年労働者派遣法制定以降、非正規雇用とりわけ派遣や登録といった雇用形態のフリーター(青年自由労働者)が、安く若い日雇労働力として資本の注目を浴びています。つまり、旧来の釜ヶ崎とその日雇労働者を切り棄て、これに代わる新たな代替労働力としてフリーターや失業層をターゲットにして、無権利無保障の日雇労働力プール(飯場待機あるいは登録・派遣制度)を各所で拡大させています。
7.3決起から始まった反失業闘争
こうした状況の中、九二年七月三日、釜ヶ崎で手配していた林建設の顔付け・暴力手配に抗議して、故・和田さん(昨年八月死去)は林建設手配車両を焼き討ち決起します。
七・三決起を号砲に、建労法体制そのものを撃つ闘いとして反失業闘争は開始されます。こうして九四年一一月『大阪府・市高齢者特別就労事業(特就)』は戦取されました。
当初、五五歳以上、五七〇〇円/日の高齢日雇労働者の輪番登録で、毎日数十人規模から始まった特就も、〇一年度からは、国の『緊急地域雇用創出特別交付金(緊急雇用交付金)』を得て、毎日の輪番就労数が二五〇人規模になり、月三〜四回就労できます。
しかし、これではとても食っていけません。ほとんどの登録労働者は、アルミ缶などの資源ゴミ回収やコンビニなどの廃棄食品回収・日雇軽作業を兼ねながら飢餓線上に生きています。特就に期待し登録する仲間は、登録運動の成果もあって二〇〇〇年以降急激に増え、昨年度は三一〇〇名が登録しました。
特就労拡大から全人民的失業対策事業へ
いずれにせよ、失業対策は歴史的にも政策的にも、「予算がある、ない」などという「帝国主義の余力」の問題ではなく、「体制の危機」の問題です。国や行政に危機意識を持たせる闘い、すなわち代行主義を乗り越え、野宿を強いられている登録労働者を軸とする大衆的実力闘争に基づく反失業闘争の復権が、何よりも求められています。
特就は未だに五五歳以上の高齢者限定ですが、大阪全域一万名を超える野宿労働者の闘う組織された物理力として発展する可能性を持ち続けています。多くの登録労働者が求めている「日雇三級のアブレ手当てを受給できる月一三日就労」が特就労の中期的な要求です。