[コラム] 山村千恵子/韓国でも領土問題は右翼の定番?
韓国にとっての独島(竹島)
島根県が「竹島(独島)の日」を制定した二月以来、、日の丸を焼いたり、指を切り取ったりの「反日パフォーマンス」が、連日のようにメディアで繰り返し写しだされる。そんな中、「危ないからやめておけ」という声を笑い飛ばして、それぞれ一週間ずつ、二度韓国へ行ってきた。
三月の訪問では、わかってはいたが、マスコミ報道と実際との落差に呆れた。見知らぬ人も「独島は国と国の問題、民間人には民間人の付き合いがある」と声をかけてくる。
見る位置によって、ドラム缶が円にも長方形にも見えるように、『三国史記』や『世宗実録』などの古文献にも、『粛宗実録』の安龍福一件にも、いろいろの解釈がある。どちらの国の「固有の領土」であるかについては、双方に言い分があるのは当然だ。
しかし、一九〇五年の「竹島の日本領土宣言」に関しては、韓国側にある痛恨の思いを理解しておく必要がある。
従来、日本では鬱陵島を竹島、独島を松島と呼んでいた。この一九〇五年、日本政府が閣議決定し、二月に島根県が告示をすることによって、竹島を日本の領土であると宣言した。他国の島(鬱陵島=竹島)と自国の島(独島=松島)の名を逆にして、独島は日本での正式名称「竹島」となった。しかもその宣言は、その時点で、大韓帝国には知らされなかった。
同じ一九〇五年一一月一七日に「第二次日韓協定(乙巳条約)」によって、大韓帝国の外交権は日本に摂取され、朝鮮支配は決定的となった。そして翌一九〇六年になって、前年の島根県告示を大韓帝国政府に通報したのだ。日韓併合は一九一〇年だが、「国を盗られるに先立って島を盗られた」という韓国人の思いが、あの無人島を「独島は我が領土だ」と、死守させている。単に領土や領海を少しでも拡張したいという日本人との、そこが決定的な違いだ。蔑視ではなく、憧れすら感じてくれているらしいという「韓流ブーム」を驚きながら歓迎するし、日本との友好は心から望んではいるけれど、「独島を奪うことは国を奪うに匹敵する。それは死んでも許せない」というのが、全ての韓国人の意識のように思われる。
反日スローガンないソウルのメーデー
二度目の韓国訪問では、メーデーに出くわした。音楽やシュプレヒコールに誘われて、鐘路に出てみた。地下鉄「鐘路」駅から「光化門」駅までの、御堂筋より広い大通りが、デモ隊に完全解放されていた。見物人が、何の規制を受けることもなく、その道路内に入れるだけ、御堂筋パレードより徹底していた。あちこちに、大きなトラックが横断して止められ、幕を張って簡易舞台になっていた。もちろん私も道路に入り込んで、写真を撮りまくった。「平沢米軍基地拡張反対」の署名運動には、署名もカンパもしてきた。
「竹島の日」制定から二ヵ月以上過ぎているとはいえ、デモといえば反日、何らかのスローガンが…と思ってプラカードなどを真剣に見たのだが、独島などの反日スローガンは見当たらなかった。韓国でもやはり、領土問題は右翼の定番なのかもしれない。とはいえ、韓国人の全ての友だちが、水さえ向ければ、独島については熱く語る。
靖国だ、教科書だ、と、日本人を少しずつ馴らしていったように、政治家たちは、ほとぼりが冷めた頃を見計らって、「竹島は日本の固有の領土である」という「意思表示」をするだろうが、韓国人が馴らされるとは到底思えない。独島が蟻の一穴になることへの恐怖と嫌悪感は、左右も新旧も超えた、全韓国人の意識のように感じる。