[投書] 反日デモ意見特集
シュレーダー独首相がヒトラーの墓参りに行けば暗殺されるだろう 吉本草蔵(23)
シュレーダー首相がヒトラーの墓参りに行く。こんなことがあれば、ユダヤ人はシュレーダーを暗殺するかもしれない。
小泉が靖国に行くのは、近隣アジア諸国にとっては、同じように映っているのだろう。だとすれば、反日デモはまだ生ぬるいのではないだろうか。日本経団連の会長が憲法九条の改定に言及するのでは、日本製品のボイコットなどは当然である。日本の戦後六〇年は、一体何だったのだろう?
用事で東京に行った。東京都のポリシーは不法滞在の外国人を半減させることだ。カプセルホテルに泊まることになり、エジプト人建築家と話をする機会があった。日本語が達者な彼は、日本人大工の「なぜ砂の上のピラミッドは沈まないのか?」という質問に「四角錐の底辺では重さが分散するのである」と答え、「じゃ、砂の下には何がある」と大工が聞くと、「砂礫があって、ボーリングのために穴を掘るには限界がある」らしい。
そんな話が続いたが、彼がポツリと語った。「中国人は日本人がやったことを、やってる」
彼の話を聞いて考える。憲法九条の意味は、表面においては永久平和の宣言であるが、裏面ではかつて日本が侵略した国の持つ「復讐権」の「否定」ではないかと思い至った。九・一一とアフガン侵略のように、簡単に「復讐」が認められてしまえば、中国が日本を侵略することも可能となる。したがって、憲法九条は国境を越えて存在しているものであり、もしこれを放棄すれば、日本は全てを失うだろう。
砂の上のピラミッドは沈まない。しかし、歴史を巡って日本は沈みつつある。憲法九条は砂の下の砂礫のようなものだ。これを失えば奈落に落ちる。言い換えれば、憲法九条は、砂の下の無意識に刻み付けられたトラウマ(心的外傷)のようなものでもある。たとえトラウマを否認できても、トラウマがなくなることはない。
政権崩壊したインドを教訓とする中国政府 春日匠(25)
敗戦時に投棄された化学兵器による被害にまで賠償を拒む日本政府が誠実さを欠いているのは言うまでもないが、きれいに印刷されたプラカードを抱えて、警官隊に先導されたデモに共感することはできない。
こうした事態の背景には、「共産主義」とは名ばかりにグローバル化を推し進め、貧富の格差が増大する中国の実情があり、それらの矛盾と不満の矛先を、愛国主義を利用して逸らす、という中国政府の意図は明白だからである。
特に、中国同様経済的な成功を収めながら、先の総選挙では改革から取り残された貧困層の抵抗で政権が崩壊したインドの事例は、中国政府には強い教訓になっていると思われる。選挙による政権交代のない中国では、政府への不満は暴動という形で噴出することになるのであり、実際に農村部では政府に対する抗議運動が頻発しているという報道もある。
長大な国境線を巡り今も紛争を続け、アフリカでも熾烈な資源獲得競争を続ける印中二国だが、中国側の大幅な譲歩もあって、関係改善の努力は著しい。中国としても、その程度の妥協で紛争を回避した上に、ヒマラヤを越える、二つの一〇億人市場を結ぶ巨大な交易路が誕生することを考えれば、安い投資なのかもしれない。反対に、日中関係は多少悪化したところで決裂するわけにも行かないぐらい抜き差しならない関係にあると考えられているのだろう。
経済的な苦境が、強いリーダーと愛国主義に人々を引き寄せるという構造は、この百年まったく変わっていない。日本を非難する中国人も、日本を非難する中国人を非難する日本人も、それが現実の経済と生活の問題から目をそらす方便だということに気がついてもらわなければならない。我々は、戦争問題と同時に、貧富の格差を招いている新自由主義経済の問題についても積極的な交流を試みるべきであろう。
今年一二月には、香港でWTOの閣僚級会議が開かれる。当然、恒例となった世界中の運動体の結集と抗議行動も開かれるだろう。今回デモに参加したような人々と、我々日本人がそうした場で情報を交換し、本来共通の課題であるはずの新自由主義の台頭に対するアクションのために協力し合えれば、と願っている。
「関係のないツケを払わされるのはウンザリだ」という息子達 兵庫 主婦 しょうこ(43)
なぜ俺達が、今、中国に対して謝罪の念を持たねばならないのか?関係のないツケを払わされるのはウンザリだ」とは、今年一七歳と一五歳になる二人の息子達の弁。
九年前、当時六歳と八歳だった息子達を連れて中国広東省の農村を訪れた。農村の青年たちは友好的で、筆談で大いに盛り上がった。「日本はアメリカの属国になるな、日本からアメリカ軍を追い出せ」と。
その後再訪を願いつつ、彼の国の急激な経済発展に伴う問題点について危ぐしていたのだが。今回の騒ぎで、息子達が中国に抱いていた親近感がうち砕かれたことは残念。
私自身は、親に第二次大戦中の話を聞き、「戦犯・天皇制・戦争」を憎んで育った。「小泉が靖国参拝するからだ」「歴史教科書がいけないんだ」と説明してみても、「蒸し返しはウンザリ」「戦争のことを持ち出せば、自分の言い分が全て通ると言いたげな中国人とは付き合いたくない」と。この考えは無理からぬこと。自分自身に落ち度がないのに、初めから対等でない付き合いなど、誰が望むだろうか?
中国政府は、日中関係の歴史教育において、中国の被害者的側面ばかりを強調し、戦後日本からの経済援助については知らせていない。外国資本を受け入れ、後先考えず経済発展を優先させてきた、この一〇年の中国政府の失策による国民の不満の矛先を余所へ向けようという意図が読み取れる。天然ガス開発の問題にしても、中国側の主張は甚だ疑問。
それでも、アメリカの横暴ぶりに比べたらかわいいものだと思うが。というわけで、日本の常任理事国入りは当然ながら反対。デモは結構だけど、モノを投げたり汚したりするのは止めていただきたい。というのが、息子達と私の共通した意見。
「天皇裕仁は有罪」を今こそまじめに受け止めよう ひびのまこと(37)
靖国神社への公式参拝。従軍慰安婦制度などの侵略の歴史が歴史教科書から消えること。もちろんこういったことは、「反日デモ」があるから問題なのではない。
しかし、「反日デモ」を受け止めて、日本政府を批判する声が大きくならないのはなぜだろう。やはり実は「日本国民」は、侵略戦争の責任を果たす気がないのではないか。
例えば女性国際戦犯法廷に関連して、NHKの番組内容が改ざんされたことに対しては、多くの抗議の声が挙がっている。しかし、NHK改ざん問題に声を挙げる人のうちどれだけが、「天皇裕仁は、人道に対する罪である強かんと性奴隷制についての責任で有罪」という趣旨の法廷の判決を「まじめに」受け止めているだろう。裕仁の存命中にその戦争責任を自分で追及したことがなく、むしろ逆に裕仁と天皇制の延命を主たる目的として書かれた日本国憲法をありがたがってきたのは一体誰だろう。今に至るまで加害者責任を曖昧にしている「共犯者」として自己を位置づけ、その責任を果たすこと。戦犯法廷はそれを「私たち」一人一人に突きつけていたのではないか。
そもそも、在日朝鮮人たちが自力で創り上げた民族学校を、警察の物理的暴力も使って破壊した日本政府。外国人に指紋押捺と証明書の常時携帯義務を課し、長い間年金や保険にさえ加入を認めてこなかった。朝鮮人への住宅貸し出しの拒否や、外国人の入浴を断る銭湯の存在も二〇〇五年の日本の姿だ。
「日本国民」に選ばれた日本政府は、こういった外国人差別の政策を根本的に変えたことがない。いやそもそも、敗戦後日本国憲法で「日本国民」に保証された基本的人権は、「日本国民」ではない「外国人」には認められてこなかった。
日本国憲法やそれに基づく日本社会が一体どのような欺瞞とごまかしや差別の上に成立していたのか。そのことを見つめ、右派の攻撃の存在を口実に「護憲」を掲げるのではなく、加害者無責任体制の象徴である天皇制を廃止し、外国人差別を改める方向に、社会と憲法を変えていくことが、アジア侵略に対する「現在の責任」を考える時には必要なのではないだろうか。(ひびのまこと http://barairo.net/)
戦争に陶酔する者たちこそ罵倒せよ 釜ヶ崎パトロールの会 かねはぎ あつし
中国で『反日』を掲げた暴動が起きた。日本のニセナショナリスト、ファシストたちの戦後六〇年間の歴史の中で、いよいよ、そしてより本格的な戦争準備とアジア人民への公然とした敵対に対して、中国人民がこのような『反日』暴動を起こしたことは、まず何よりも支持されなければならない。それが中国ナショナリズムに支えられたものであったとしても。
そしてこう言わなければならない。「それが中国ナショナリズムに支えられたものであったらどうだというのか?」と。「深い井戸の底のような記憶を生きる中国人民が、ニセナショナリスト、ファシストたちの暴力にナショナルに反応したからどうだというのか?」と。それがナショナリズムかどうかの議論は、暴動を起こして現場で闘っている中国人民がすべきであって、私たちが何か分かったような顔をして評論することではない。
日本が中国人民に、アジア人民に銃口を向けたこと、殺したこと、火を放ったこと、ありとあらゆる暴力を行い、略奪したこと、破壊したこと、を自らの正当性しか関心を持たない者たちは「昔のこと」、「いつまでも」と言い続ける。
そう、戦争が終わったのは六〇年前のことだ。その時生まれていなかった私は、中国人民も朝鮮人民もアジア太平洋諸国、諸地域の人民の誰一人殺していないし、破壊も略奪も強姦も放火も行っていない。日本が行った戦争は私には関係のないことだ。私に責任はない。そして、いま『反日』をかかげて暴動を起こして日本を弾劾する中国人民も私は知らない。テレビの向こうで日の丸を引きちぎる人々の名前を呼ぶこともできない。「中国人民」と束ねた言い方しかできない。
にもかかわらず、彼・彼女たちは問うている。「日本は再び中国人民に銃口を向けるのか?」と。私は答える必要があるだろう。私は中国人民に銃口を向ける理由がない。中国人民を殺す理由がないし、そこに理由があったとしても殺さない。
そして、私はこう言わなければならない。「そのような責任も取れない関係に、私たちを組み込むな!」と。戦争をやりたがる者たちは「昔のこと」、「いつまでも」と言い続ける。だが、たった一回の戦争が、たった一つの暴力が、たった一言が、その被害者にとって取り返しのつかないことになり、六〇年たっても七〇年たっても言わなければならないほどの痛みを生むということを。
罵倒して冷ややかな眼差しを向けるべき者ははっきりしている。殺し、殺される戦争に陶酔する者たちだ。
反日デモをやるべきなのは私たちだ 森本忠紀
中国・韓国の反日デモ。あれはぼく達日本人がやるべきことだ。
戦争はしない。軍隊は持たない。平和を何よりも尊ぶ国として、戦後日本の出発はあった。戦争をしないこと、平和を守ることは日本国民の誓いであり、祈りだった。
それは国民が望まぬ戦争をしてしまったからだ。戦時体制下で辛酸を嘗め、大勢の戦死者を出し、国土を焼かれ、得たものは何だったのか。何もなかった。尊いのは平和だ。敗戦を境に、平和の尊さに一斉に目覚めた。それは国民的経験だった。一九四五年八月一五日というのはそれほどにエポックメイキングな「歴史の日」なのだ。
単に望まぬ戦争をしたという悔いだけではない。望まぬ戦争に国民挙げて協力した。その一は徴兵されて兵隊として戦争に参加したこと。それに他国への侵略を正当化する尊皇思想を支持あるいは容認したことがある。さらに戦争を遂行するための社会・経済体制を受け入れたことの三つが戦争協力の中身として挙げられる。戦争協力の反省とは天皇制ファシズムにからめ取られたことの反省に他ならない。
もう一つ大きな反省は大本営発表が絶対だったということ。報道が歪曲され、真実がまるで見えなくなったのが、前の戦争だった。国民は自らの目と耳を持たなかった。
中国・韓国の反日デモの大きなうねりは大きな運動の始まりを告げるものだろう。それは、一九四五年八月一五日を忘れているのじゃあるまいなとぼくたちの日本に問うている。
その年、ぼくは一歳だった。一九四五年八月一五日に立ち帰る、という国民の反省とともにぼくは年齢を加えてきたことになる。そして今年で六〇年。ぼくにとっての戦争反対とは、一九四五年八月一五日に立ち帰るということの他にはない。
日本とは何であるかと吾に問う 桜吹雪と反日デモと