[コラム] 自分を見つめ自らを語る仲間づくり
──下司病院事務管理部長 下司 孝之(55)
入院してくる患者さんの医療保護受給率は三割にもなっている。高収入であれば二割負担の高齢者も、景気の低迷で一割負担者ばかりになった。
不況による生活苦が、院内にまで押し寄せているのだ。生活保護での入院者全員が精神障害を抱えている人たちで、収入格差は内科に較べて大きく、この世で差別を受けている病者たちが、生活保護から抜け出すチャンスはない。
このような方たちを抱える病院自身もまた、小泉の三位一体改革による低医療費政策で「底つき体験」をしているが、街の中小病院には脱出路が見つからない。
「底つき体験」に学ぶ
アルコール依存症の治療では、どん底を語る「底つき体験談」が患者さんに立ち直る浮力を与える。
人によっての底つきはそれぞれに違うが、アルコール医療は患者さんに「今が底だ」と認識してもらい、「上げ底」で立ち直らせる手伝いといえる。
底をついた時、底を破って奈落の底へと更に落ちていく人もいるが、「ここが自分にとっての底なんだ」という病識が得られると、立ち直りのきっかけが得られやすい。
酒を止めるきっかけをつかむために行われているのが、精神科病棟での、朝礼・体操から、酒害教室や、歩いて達成感を得ること、夕方の断酒例会まで、数多くの集まりだ。例会出席を続ければ、ある日フッと酒を止められた自分がいる。しかし、どうしてやめられたのか、説明は難しい。
ところが、このような学習や予防などいくらやっても医療収入は得られない。予防医療は医療費を押し下げる効果を持つが、薬や建物や医療機器、情報システムに頼る現在の医療には、予防医療の効果をたとえ知っていても、予防主体の医療としては普及しない。
建物や薬、医療機械、情報産業にはそれぞれの資本が付いている。金融資本のよろしきを得て病院という医療資本に、強い経済動機が後押しをする。一方、人が自らの力を引き出す医療には、どんな医療上の動機も後押しできなかった。
「私にとって」という視点
アルコール治療の要点は、「一人では治らない」と仲間づくりの楽しさを理解してもらうこと、自らを繰り返し語る「体験談に始まり体験談に終わる」例会出席を促すこと、そして、明日へ後回しをせず今日だけは飲まない「一日断酒」の癖づけである。
これらの治療は充分、一般の社会生活にも応用が効く。その有効性は一〇年前の阪神大震災時に、断酒会員の圧死は二名だったが、被災生活で飲酒死者を出さなかったことで証明されている。一般の被災者が避難所で酒に溺れた話は多いが、底つき体験を語ってきた酒害者は、めっぽう危機に強かった。
すでにどん底から人生の危機克服を目指している酒害者にとって、災害も乗り越えるべき試練の一つでしかない。何百回も自らを語る努力が「例会出席」でなされ、災害という危機にも動じなかったといえる。
この世で幾つもの運動がしりすぼみになり消えていくことは、今まで何度も体験して来たが、自らを語ろうとしなかったのも原因の一つではないだろうか。例えば「私にとっての民主主義とは」を皆さん、どう語れますか?
断酒会は戦後、最大の自助運動として一つの姿を他の自助運動に示して来た。この運動理念を一般社会にも還元出来うる、と私は思う。断酒会は、自らを「社会的資源」としても位置付けをしているからだ。断酒会は医療機関の患者囲い込みにも、政府の過度な経済援助にも、「自立を妨げる」と反対をしている。今日、かつては「アル中」と呼ばれた酒害者に学ぶことも、変革の希望に、また一つ灯火を灯すことになりはしないだろうか。