[社会] 釜ヶ崎定期便/野宿の路上から 年末年始の大阪レポ
年末年始の大阪・釜ヶ崎レポート 静けさの中の緊迫ムード
二〇〇五年となってそろそろ一ヵ月。読者の皆さんは、年末年始をどう過ごされただろうか。大阪・釜ヶ崎での年末年始の風景を、少し紹介しよう。
大阪市は日雇い手帳を持つ人を対象に、毎年「あいりん地区越年対策」として大阪・南港に「南港臨時宿泊所」を開設する(今回は、年末から年始の七日まで)。求人のなくなる年末年始の間、安心して寝泊まりできるところを求めて、今年も多くの労働者が入所した。
臨時宿泊所の部屋は、二段ベッドの入った二人部屋。以前のように、大部屋にずらっと二段ベッドが並んでいるといった光景はなくなったようだ。しかし、利用者への規則の中には絶句させられるような常識はずれのものもあったりする。例えば「電話は取りつがない」「数人で集まって話をしてはいけない」といった内容のものがそうだ。一見しても理由がわからない。聞くところによると、入所した労働者がみんなで相談して、施設の待遇改善を要求したりすることを恐れている、とのもっぱらの評判。
大阪市が、どこまで本腰を入れてこういった失業・野宿者対策に取り組んでいるのか疑問に思うところだ。というのは、この「南港臨時宿泊所」の開設期間中は、シェルター(仮設一時避難所。一時避難とはいっても翌朝早朝に出なければならない)が閉鎖されるからだ。
ともかくも日雇い手帳を持った労働者は、求人が再開されるまでの間、この臨時宿泊所で年末年始を過ごす人が多かったようだ。
釜ヶ崎に残って正月を迎えた人たちは、厳しい寒さの中、越冬闘争などでのカラオケ大会・もちつきなどのイベントに参加したり、仲間同士で過ごすなどしていた。釜ヶ崎内では、さまざまな団体・グループが、炊き出しや弁当の配布を行っていた。
行政への不満の高まり恐れ 警察はピリピリ
そんな事情なので、釜ヶ崎の年末年始は、人が予想よりも少なく、静かなものだった。しかし、そんな中で釜ヶ崎の真ん中に位置する西成警察署だけは、ピリピリと緊迫したムードだった。それは一体どうしたことなのか?
「釜ヶ崎をめぐる情勢が、非常に厳しいものになってきているんです。来年度予算で国は《緊急地域雇用創出特別交付金》を打ち切る方針を出しましたが、そうすると大阪市・府が行っている失業者対策事業に大きな影響が出るんです」と話してくれたのは、釜ヶ崎で活動しているNさん。
大阪市・府は「NPO釜ヶ崎支援機構」に委託して、大阪市内の道路や公園を清掃する特別清掃(特掃)事業を行っている。五五歳以上のあらかじめ登録した人たちが、一日約二八〇人、順番でこの特掃の仕事に就く。日給五七〇〇円で、だいたい月に二〜三回、順番が回ってくる。仕事が激減する中で、貴重な収入源だ。国からの交付金が打ち切りになれば、特掃の仕事に就ける人数が五分の一以下に激減してしまう。
「加えて、毎年、夏と冬に支給されているソーメン代・モチ代の一時金が、大阪市・府の財政難を理由に打ち切られるとの話があります。そうなってしまったら、釜ヶ崎の労働者の怒りを買ってしまうでしょう」(前述・Nさん)。
実際、釜ヶ崎の中に限らず、国・地方自治体の不十分な「就労支援/失業対策事業」に対する不満は根強い。大阪市の第三セクターの巨額の赤字や、つい最近マスコミに取り上げられた大阪市の「カラ出張・カラ残業」問題に見られるように、大阪市の税金の使い方は明らかに間違っているのだ。
「警察は、こういった行政への不満が高まることを恐れているんです。本当にこの年末年始の警察は、ピリピリした雰囲気でした。盾を持った警官が集団で巡回する姿をよく見かけましたね」(Nさん)