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更新日:2005/01/29(土)

[コラム] バリアのない街第2回/死に対する誤解と介護
──遙矢当(はやと)

多士済々の福祉施設来訪者

福祉施設とは言うまでもなく、誰にでも開かれた場である。また「社会へ向けて福祉の情報を発信する」という、重要な役割も課せられている。

ところが近頃、「福祉と社会を繋ぐ場」としての施設は、その役割が変化し始めた気がする。このままでは「福祉に関わっているという既成事実」を与える場になりつつあるのでは?と。日々の業務を振り返れば、訪れる者も多士済々だ。ホームヘルパー講習の研修生、教員免許取得希望者に課せられる「介護等の体験」なる不可思議な実習の学生、そして犯罪を経て謹慎期間にある著名人や政治家など…。

もちろん、意欲と学ぶべき課題を持って訪れるのであれば、大いに歓迎すべきある。だが、そうとは思えない人々が、残念ながら目に付く機会が増えてきた。地域の人々にとって、福祉の相談窓口となるべき施設が、訪れるには敷居の高い「代償行為の場」とやらに甘んずるのであれば看過出来ない。

動機を問わず施設を訪れる多くの人々にとって、中で行われる介護とは、@一般社会から離れて、A特殊な環境を通じ、B経験豊富な者によってのみ、実施されるべきである──という発想が依然強いのだろうか?仮にそうであっても、人間の生命は、様々な技術の進歩をもって未だ永続的なものではない。誰もが直面する「死の現実」にこそ立ち返るべきである。

そもそも、介護によって得られる体験は思うほど特殊なのだろうか?今の我々が日常の生活において向き合うべきなのは、「生活体験の乏しさが指摘される(=全社協介護体験プログラム≠フテキスト巻頭)」という事などではない。身近な人にも、そして自分自身にもいつかは訪れる「死」に対する学習の機会が喪失されている現状こそ、見つめ直すべきなのだ。

蓋し介護は、ある日突然始まり、死によって終結される、最後まで不透明な世界である。施設自身もそれを分かっていながら、断片的な場面を見せ続け、福祉の抱える今の問題を社会に問いかけることが出来ないままでいる。施設は受け入れる訪問者に対し、「介護のいい所取り」を見せるだけで良いのだろうか。これでは介護とは、あたかも突如湧いてきた問題の如く取り上げる無責任なマス・メディアによって、その不安を煽られた人々の誤解を更に深めるだけであろう。

当たり前にあるべき介護と死

ところで読者諸氏は、施設の中でどの様な介護が行われているかご存知だろうか?ここで誤解されては困る事だが、利用者の多くは日常生活で「難しい」部分に対する介護を求めて施設を訪れる、という事が基本なのだ。例えば特別養護老人ホームに入所している人でも、個人差はあるが、日常で半分程度は身体の介護を必要としないのである。むしろ施設が提供すべき重要な介護とは、入居する各々に続く苦しい日常を軽減させる年中行事など娯楽の要素や、安定した接遇の態度などであろう。施設職員も娯楽企画には日々苦慮し、礼節を重んずるのが実情である。筆者は施設の持つこうしたもっと「明るい」部分にこそ、もっと脚光を当てて欲しいと思っている。元来施設は心身の不安定な人々に、生き生きとする明るさで励ましていく楽しい場のはずだから。

介護する側も、読者諸氏も、そして筆者も、何れは介護を必要とするときが来る。それは特別な事ではない、という意識が改めて求められる。

福祉が資本=ビジネスに委ねられても、淘汰を経て尚施設は永続性を求められる。現在の社会体制が如何様に変化を遂げても、施設は社会と福祉を結ぶ常に必要な世界である。社会全体を覆う「死に対する誤解」は、介護体験を得る事よりも我々自身の生き方を見直す事で解けてくる。(文中敬称略/月一回連載)

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