[海外] パレスチナ現地レポ/どうなる?!ポストアラファト
インティファーダは和平交渉の障害物なのか?解放の鍵なのか?こうした問いかけと自問の中でパレスチナ大統領選挙が行われた。
今回の新議長選出選挙は、単にアラファト氏の後継者を選ぶという選挙ではなく、インティファーダの意義を問い、パレスチナ建国に向けた戦略を問う選挙となった。
一方、米国占領下のイラクも一月三〇日に選挙が予定されているが、抗米闘争は勢いを増し、米軍によるイラク攻撃はその大義とともにブッシュの世界戦略破綻を日々明らかにしている。
こうした中、ブッシュ大統領とイスラエル首相・シャロンは、アラファト氏の死を奇貨として、「和平」という名のパレスチナ抵抗勢力封じ込めに乗り出しているのである。新議長の下でイスラエルとの和平交渉が準備されているが、ブッシュを後ろ盾としたイスラエル政府の交渉態度は、パレスチナ側に一〇〇歩譲らせて一歩退くといった一方的なもので、パレスチナ自治政府にとって極めて困難な交渉とならざるをえない。
ネオコン・ブッシュの世界戦略にとって中東流動化と再編は、その要であるがゆえに、イラクとパレスチナの行方は、二一世紀の世界の大きな流れを決めるといっても過言ではない。
こうしたなか、パレスチナの各政治勢力は、和平・建国に向けてどんなビジョンを示しているのか?パレスチナの人々はどんな選択を行おうとしているのか?さらに「テロ防止」を名目に建設される「分離壁」の実態とその影響はどのようなものか?一二月上旬占領下のパレスチナに飛んだ。(編集部)
人生奪ったアパルトヘイト壁
「『壁』ができてから売上が七割減ってしまった。六人いた従業員も今じゃ二人。何とか営業を続けたいと思うが、これじゃあ、店を閉めるほかないね」
エルサレムとラマラ(パレスチナ議長府所在地・政治の中心)を結ぶ交通の要所であるベイト・ハニーナの表通りで家具店を営むサミーさん(五〇歳)は、壁の影響をこう語る。
ベイト・ハニーナは、エルサレム旧市街ダマスカス門から出るバスに乗り北へ二〇分ほどだ。丘を越え、次から次へと現れる入植地を横目に見ながら小さな検問所を通り抜け、四車線の街道を走っていると、センターラインに沿って高さ八b、厚さ五〇aほどのコンクリート製の『壁』が突然現れて、この道を二つに切断した。北部から建設されてきた壁は、ベイト・ハニーナを超え、エルサレムに向かっているところだった。
サミーさんは米国で出稼ぎをして貯めた金と借金で、一昨年夏に高級家具店をオープンした。商売は順調な滑り出しで、ようやく経営も安定してきたと思った矢先の昨年九月に分離壁の建設が始まって客足がガタ落ちとなったという。店の前に「分離壁」が建設され、壁の向こう側の客が来られなくなっただけでなく、人と車の流れも変わってしまった。ラマラ行きの車は全て壁の向こう側を通るように規制されたからだ。彼が店を閉めて残るのは、背負いきれない借金だけだ。こうして彼の人生は『壁』によってつぶされようとしている。