[海外] パレスチナ/アラファト後のパレスチナ アブ・マゼンの和平路線に賭けてみる価値はある
── 一一月二七日 ウリ・アヴネリ 翻訳/脇浜義明
アラファト後の指導権争いは、PLO議長アブ・マゼン(「穏健派」)とインティファーダが産んだ英雄マルワン・バルグーチ(「武闘派」)の対立という形に収まってきたようだ。図式的に言えば、アブ・マゼンは、オスロー合意によって長い外国生活から帰ってきたアラファトPLOを代表する旧世代の人物で、ある意味で西岸・ガザ地区の人々にとって「外国人」と写っていた指導層。一方バルグーチは、新たにパレスチナ解放闘争の主役となった地元人民の闘いインティファーダが産んだ指導者で、草の根レベル、および若い世代の間では人気が非常に高い。現在イスラエル刑務所で服役中。
ここにウリ・アヴネリの論文「私に任せてくれ」(11・27)の一部を訳出するが、彼はアブ・マゼンに同情的である。アブ・マゼンが自治政府議長になれば、シャロンが「交渉拒否」の口実を失い、米国も態度を変える可能性があると、他の論文で書いている。(訳者)
イスラエルとの和平交渉を担当していたアブ・マゼン
「アブ・マゼン対バルグーチ」の争いは、部分的には、人格的および世代間格差を反映したものといえる。アブ・マゼンは《ファタハ旧世代》を代表し、バルグーチは《インティファーダ闘士》を代表している。しかし本当の争点は、二つの世界観、つまり解放闘争に関する基本的戦略の争いであろう。
私が初めてアブ・マゼンの名を知ったのは、私がPLO指導部と連絡がとれた一九七四年だった。仲介役をやってくれたサィード・ハマニ(殉死した)に、「君の後ろに立っている人は誰か」と質問した時だった。その時サィードは、「ファタハが、イスラエルとの接触を指揮する《三人委員会》を設立した」と、こっそり教えてくれた。三人とは、アブ・アマル(ヤセル・アラファト)、アブ・マゼン(マハムド・アッバス)、アブ・イヤド(サラハ・ハラフ)〔注…子どもが生まれると、父親は、その子の名の前に「父」を意味するアラビア語=「アブ」をつけた新名を得る〕。
そのうちアブ・マゼンが「対イスラエル直接担当者」だった。彼がモスクワ大学へ出した博士論文は、ホロコースト時代のシオニズム運動に関するものだった。後になって彼は、私に「『カストナー事件』(一九四四年、シオニストがユダヤ人をイスラエルへ移住させるため、アイヒマンと裏取引をした事件)に関する文献を貸してほしい」と頼んだことがある。
一九八三年、和平を求めるイスラエル委員会の代表団(私を含む三人)が、チュニスのPLO本部のアラファトとの面談に招かれた時、アブ・マゼンと初めて話し合った。アラファトと会う前に先ず彼と話し合って議論を煮詰め、それをアラファトに提案、アラファトが結論を出す、という仕組みだった。
「米とイスラエル民衆への働きかけに全力尽くすべき」
こういう経験から、私は現在のアブ・マゼンの戦略を理解できる。「米国とイスラエル民衆に向けた働きかけに全力を尽くすべき」という戦略だろう。今ならブッシュの偏った政策を変えるチャンスがある。現在二期目のブッシュは、まさか三期目を狙うこともないだろうから、強力なユダヤ人ロビーを無視できるはずだ。武装インティファーダを止めれば、イスラエル民衆の考え方を変えることもできる。「暴力インティファーダは、パレスチナの大義にマイナスをもたらしただけだ」とアブ・マゼンは考えている。
もちろん、ファタハの若いメンバーは、こういう考え方をにべもなく否定する。「そんなものは幻想で、ブッシュはシャロンの言いなりだし、そもそもブッシュは、イスラエル極右を支持するキリスト教原理主義者ではないか」「イスラエルの和平陣営もあてにならない。一番大事な時期にパレスチナ人を見捨てたではないか。いくつかの小さな草の根グループは別にして、和平陣営主流は、占領・殺害・破壊・食攻め・分離壁・土地や水の略奪を止める具体的動きを何一つしていない。役に立たない文章を発行するだけだ」「武装闘争は効果を生んだ。イスラエル経済を不況に追い込み、恐怖と貧困を作り出した。だから、イスラエル人が領土をパレスチナに返そうという気分になっているのだ。彼らが理解するのは力の論理だけだ」──若い世代のファタハ隊員はこういう考えであろう。
やや穏健派は、自爆攻撃について「武装闘争は入植者と兵隊だけに限り、市民への攻撃は止めるべきだ」という意見だ。
アラファト存命中は、この対立が際立った形で表面化することはなかった。彼が両戦略を統合し、必要に応じて使い分けていたからだ。交渉派も武闘派も、彼を「指導者」と見ていた。オスロではイスラエルを承認し、和平共存を追求した。その努力がイスラエルの壁に突き当たった時、武装闘争に切り替えた。バルグーチはその時の「彼の弟子」といえよう。
そのアラファトがいなくなった今、両戦略がパレスチナ社会で──おそらくパレスチナ人の家庭内でも──衝突していることだろう。