[政治] 「共謀罪」の危険を訴える/治安反動法の集大成
──塩見 孝也
僕は七〇年安保闘争の際、「よど号」ハイジャック事件、大菩薩軍事訓練事件、一〇・二一の新宿署襲撃事件の三件で逮捕。起訴、有罪とされ二〇年の監獄生活、予防弾圧を強制されました。
いずれも、赤軍派の行動でしたが、僕個人の政治行動としては立証不能の面が強く、分けても「よど号」事件については、事件勃発の半月前に逮捕され、別件で警視庁で取調べを警視庁で受けており、「ハイジャックを総指揮した最高責任者」などあろうはずがありません。
それを、時の佐藤政権は、報復・見せしめ・予防拘禁のために共謀共同正犯の変種、運動会のリレーのような「順次共謀論」なる法律をひねり出して起訴し、「共謀論」と「推認論」で強引に有罪としました。
全くの法匪的ペテン行為です。このよう法律的ペテンが、新左翼や全共闘活動家達に対して吹き荒れました。あの時は、もう法律的事実検証などへったくれもなかったのでした。その「へったくれもない」事態を、今回法曹的に整備せんとしています。
罪刑法定主義(「思想を裁くのではなく、行為を裁く」近代法の基本原理)に反し、国家が個人の思想・信条を統制する法律は、戦前では「天皇制」と「私有財産制」を批判する思想を持つ個人を、それ自体で持って「有罪」とする、悪名高き「治安維持法」がありました。
この治安維持法の代わりとして、「公共の安全を害する」思想を持つものを「悪」とする「破壊活動防止法」が、朝鮮戦争のさなかに制定されました。
しかし、この破防法はあまりに思想抑圧が見え々で、大上段過ぎ、物議を醸しすぎて、戦後発動されたのは、七〇年闘争の際の革共同(中核派)やブント(第二次共産同)、そして赤軍派への三件だけで、その後のオウム真理教に対しても発動されずじまいでした。
こうして七〇年闘争の際も弾圧に威力を発揮したのは、破防法ではなく、実際は小回りが効き即戦力の実効性を持った「共謀共同正犯」法でした。これが「凶器準備結集罪」や「爆発物取締り罰則法」「火炎瓶法」などと併合され、猛威を振るったわけです。
しかし、この法律ですら、罪刑法定主義の枠組みを建前としていましたから、一定の事実検証が前提とされ、警察・検察当局にとって面倒さが必要とされます。
こんな事情の中で、治安維持法や破防法のようにストレートな思想統制の性格を原理的に持ち、「共謀共同正犯」論のように小回りも効き、しかも検証が「話し合い」だけといった、実効性もある、いわば変幻自在、伸縮自在し「孫悟空の如意棒」のような形で予防性も併せ持つ性質の強力な治安弾圧法が国家権力には要求されることとなります。それが今回の「共謀罪」であるわけです。
僕は、最近上梓した『監獄記』の中で、逮捕・取調べ・裁判・懲役生活を振り返ってゆく機会があったのですが、この方面に神経が張り詰めていた際、奇しくもこの「共謀罪」制定画策の動きに反対する人々と出会ったのでした。