[投書] 意見特集/「ケアマネは社会の必要悪」について大議論
編集部より
本紙10月25日号に掲載の「ぷりずむ」欄は介護保険における「ケアマネージャー(ケアマネ)」について書いたものでした。(下記参照)
「ケアマネは社会の必要悪。制度として廃棄せよ」とするその内容に対して、主に福祉の現場で働いている読者の方からご意見・ご批判を頂きましたので、紹介します。いずれも介護保険や福祉の問題に関わる、たいへん貴重な意見です。
この投稿を読まれた、読者の皆さんからのご意見・ご感想などを引き続き募集します。(編集部)
本紙10月25日号に掲載の「ぷりずむ」より
「ケアマネージャー」ってご存じであろうか。介護保健を使うときに、ケアプランなるものを作りに来る、あの業者の手先である。月に一度しか来ない、年寄りの希望を聞かない、何の役にも立たないくせに専門家だと言い張る、あのやっかいな連中のことである。
先頃、来年度の介護保険の給付内容の見直し案が発表された。要介護度の軽度の者は、サービス利用を禁止されるらしい。これに関する新聞報道がイケている。「軽度の者の多くが、業者の勧めで過剰なサービスを受け、運動不足による筋力低下など心身状態を悪化させている」から利用を禁止するのだそうだ。おいおい、それって年寄りのせいじゃないじゃん。
私の拙い高齢者福祉の知識をたぐると、当事者が必要とする介護サービス・社会サービスの組合せを専門的見地からプランニングするのがケアマネの仕事のはずである。であるなら、年寄りの状態を悪くする、金儲け優先のケアプランを書くケアマネこそ、この問題の根本原因ではないか。弱い者にツケをまわすんじゃねえ。
事業所所属では自由度がない。単価が安いため、多くの利用者を抱えないといけないので、一人ひとりに割ける時間がない。などなど、ケアマネにも言い分はあるだろう。でも、そんな専門職の戯れ言は、素人のワッチには通用しねえ。なんなら、ケアマネなんか社会の必要悪だ!制度として廃棄してやれ!って思う。(K)
介護現場に問われる「自己責任」と社会福祉切り捨て政策 ●京都・吉田信吾(訪問介護員)
一一九三号の「ぷりずむ」について。
「敵」は「ケアマネージャー(=現場労働者)」なんか と思いました。日々仕事をしていると、「あんたはどっちの方を見て仕事しているんや!」と言いたくなる人々もいますから、引用されている新聞報道のようなケアマネージャーや現場職員がいることは推測できます。しかし、私の仕事をしている範囲では見かけません。
でも、そういった職員は、現行の法体系(介護保険制度も含む)や一般的な「正義」に則っても「悪」なんです。そして、もしそういう現場に出くわしたら、具体的に叩けばいい話しだと思います。それは全ての「犯罪」と同じです。
根本原因は、ケアマネージャーなんかではありません。しかも、それをもって「ケアマネージャー廃棄!」なんていう結論にもっていくのは浅はか過ぎます。問題を介護保険の改定や、まして現場労働者の所業の問題に矮小していては、小泉がやっている社会福祉切り捨てを撃てないと思います。
今回の介護保険制度の「見直し案」は、厚生労働省のホームページにも掲載されています。一度目を通すべきだと思いますし、関係者にも話くらい聞いて回って記事にすべきでしょう。あの論調は、「真面目な福祉現場労働者」を敵に回すだけ。それこそ、「人民新聞はどっちの方向を見て仕事をしているんや!」です。
細かいことは書く余裕がありませんが、今回の「改定」は、イラク戦争を巡る論調で打ち出されているのと同じように、「自己責任」「自立」という名の下に「国民」を切り捨てていく流れの一環であるように思えます。そして、そのやり玉として「現場職員」や「事業者」が挙げられているように感じます。ちょうど、殺された香田さんや、NGOの人々のように!
そして逆に、だからこそ私たち「国民」の側から「自己責任」「自立」の意味を協同の力によって具体化していく作業が必要なのだろうと思います。「人民新聞」がその媒体のひとつになることを期待しています。
「経営方針」に左右されるケアマネの「質」 ●大阪・津田順子
悪質なケアマネージャー(以下ケアマネと略)もいるだろうが、まじめにやって苦しんでいるケアマネも多いはずだ、とは思います。
ひとつは、病院の先生もそうですが、当たり外れというか、その職種としての「質」の問題。人々に奉仕する医者が少ない背景としての医療制度と同様に、「ケアマネの質」を言う時には、介護保険制度の問題が大きいと思います。
ケアマネ制度は、たかだか四年の歴史しかありません。つまりケアマネ自身も四年の経験である上に、ケアマネが所属している事業所の経営方針が大いに影響します。
介護保険制度は、医療保険制度と同様に不十分な機能しか果たさないと思います。それがまたまた、「金がない」ということで、改悪されそうです。当面は、良い医者選びと同じように、良い事業所のケアマネ選びになっていくのでしょう。
専門知識も介護経験もない「介護専門家」 ●兵庫・遙矢当(ケアマネージャー)
二〇〇〇年四月一日をもってスタートした介護保険制度は、早いもので丸五年を迎えようとしている。介護保険制度そのものが持つ欠落及び、不備な点に関する議論の前に、やはりこの不可思議な制度のキーパーソンである、「ケアマネージャー」の曖昧さこそ、議論を待たれているのではないだろうか。今日日の高齢者介護を、更なる混迷に深めんとしているこの存在は、当然直截的な批判を浴びてしかるべきである。
「ケアマネージャー(介護支援専門員)」という職種は、ほぼ同時に生まれた介護保険制度と共に、その認知度は決して高くない。制度施行から五年を経て、その存在が改めて問われているが、この職種が果たして高齢者介護の中でどういう立場であるべきなのか?当人でも(=実は筆者自身、有資格者なのだが)、答え切れない現実がそこにある。
仮に、これまで介護の経験が無く、知識も殆ど持たない人が「私も介護に興味があるから、ケアマネージャーになって福祉に役立とう」と志したとする。そして、その募集要項を目の当たりにした時、果たしてどんな感想を持つのだろう。
募集要項には、介護職はもとより「医師・看護師・栄養士・保健師・理学療法士・作業療法士・鍼灸師・柔道整復師…」と続く職種の経験が五年間要求される。そう、@「最初から職業として始められない職種である」のと同時に、A「前職が多種多彩である」という、理解に苦しむ応募資格に面食らう事であろう。
筆者自身も、資格の受験当時こう思った。「受験生の中に、どれだけ介護の経験がある人がいるのだろう?」と。
劣悪な労働条件
試験に合格すると、レポート作成の実習期間を挟み、六日間の研修が待っている。その中でも、職種によっては「福祉サービスの基本知識を殆ど持たない合格者」や、「介護技術を持たない合格者」が思ったよりも多い。筆者自身、現実に触れて、「この講習の現状は、関係者以外の人々、特に高齢者とその家族に公開していくべきだ」と強く思った。
介護が必要になった本人及びその家族は、このケアマネージャーを「介護の専門家」と見做し、家庭内のトラブルも深く相談していくのである。
現在、一番多い前職は看護師(准看護師も含む)であるが、彼及び彼女達にしても、介護と看護=医療行為の区別に苦慮しているのだ。
高齢者福祉に関わる人々全般にわたり、介護の知識が不足していることを、ここでも伺わせる。それにしても、ケアマネージャーの研修は六日間のみで、本当に必要な実務は何も教われないまま終わってしまう。
ところが研修が終了しても、資格所得者の中で実際にケアマネージャーの職に就く者が「三割もいない」という、更に驚くべき状況もある。
医師や看護師の多くは、収入面で現状の方が勝るため、まず魅力を感じない。就職するにしても、介護保険制度の欠落による業務の煩雑さを先輩より聞かされ、敬遠してしまうのである。
言わば、「ケアマネージャーの労働状況が劣悪である」と指摘され始めているのだ。介護を知らない上で他人の終末を考え、その待遇の低さに堪えかねて辞めていくケアマネージャー。介護保険が内から軋みを立てて歪んで行く音が、この辺りから聞こえてくる。
個人的には、国民年金などと同様に介護保険の、特に財政的に破綻する可能性にこそ関心が高まってきている。五年を経て、結局介護保険では高齢社会の現状には対処できなかった、という事実こそ重く見るべきだ。そうなるとケアマネージャーは、その「敗戦処理」でしかないと言って良い。団塊世代の官僚自らが高齢者となったとき、どのようなコメントを自ら発するのか?
趣味の悪い冷笑家として、今はそれが一番の楽しみである。