[コラム] どちらがテロリストか?
──きくちゆみ
香田さんはかつての私だったかもしれない
「日本人がまた人質になった」という第一報を聞いた時、私は自分の知っているジャーナリストでイラクの取材を続けている人々や、イラクで支援活動をする友人たちの顔を思い浮かべた。のちにネットで流れてきた香田証生さんの映像を見て、自分の友人ではないことを知るが、この若者はかつての私自身であったかもしれないと思うと、居ても立ってもいられなかった。
前回の人質事件のとき同様、中東のメディアにメールを送り続けた。彼が一般市民であり、自衛隊や政府とは何ら関係ないこと、イラクの人々に寄り添いたくてイラクに入ったこと、日本人の多くが自衛隊のイラク駐留に反対であること、イラクの真の復興のために力を合わせたいこと、そのためには人質を助けてほしいこと、などを伝えた。
私の投稿のいくつかは、彼らのホームページに取り上げられたので、もしや犯人グループが見てくれないか、と祈り続けた。報道では犯人グループが、香田さんを自衛隊関係者とみなしていたことが伝えられていたので、彼が自衛隊と無関係であることが伝わることは無意味ではないと考えた。
私も二〇代、世界各地を一人旅した。あてのない行き当たりばったりの貧乏旅行で、見知らぬ人の家にもお世話になったし、危ない目にもあった。内戦が続く中米を、ヒッチハイクで回った。若い時は無知で無謀で、怖いものを知らない。そうして失敗を重ね、経験を積んで、自分の限界を知り、あるいは器を広げていく。今後、日本の若者が世界を一人旅するのをやめ、危険を冒さなくなってしまったら、日本は何とつまらない、器の小さい国になってしまうことだろう。
日本政府は、「イラクは戦闘地域でない」としている。「自衛隊が安全に活動できるから、人道復興支援のために派兵しているのだ」と。香田さんがイラクを自分の目で見に行ったからといって、誰が責めることができるのか。イラクが危険だというなら、自衛隊は撤退しなくてはならない。
与党が半ば強硬採決した「イラク特措法」にだって「戦闘地域では活動しない」と書いてある。それとも、「我が国の自衛隊は国内法に従わなくてもいい」というのか。
首相の「テロに屈しない」は「殺してください」と同義
私が最も腹立たしかったのは、小泉首相がこの事件を知ったときの対応だ。開口一番、「自衛隊は撤退しない。テロには屈しない」と言った。これは「どうぞご自由に殺してください」と同義語だ。この一言で日本政府は、犯人側と交渉するすべを失った。一国の首相なら、自衛隊を撤退させる気がなくとも、別の言い方があったろう。 「イラクの人々の苦しみは我々も理解している。イラク人の命も日本人の命も同じように尊い。今自衛隊を撤退させることがイラクの復興にとってベストなのかどうか、検討する」とでも言えなかったのか。時間を稼ぎ、犯人とのコンタクトを取ることが、ブッシュ大統領の猿真似をすることより優先されるべきだった。四月の人質事件で何かを学んでいたなら、そう言って交渉の糸口をつかもうとしただろう。しかし、残念ながら何も学んでいなかった。
最初に「自衛隊は撤退しない」と言ってしまったら、交渉はできない。犯人グループは犯行声明どおり、香田さんを殺すしかない。そして、実際そうなってしまった。政府(と御用メディア)は彼の行動について云々言う前に自分たちが一人の人間を死に追いやったことの責任を重く受け止めてほしい。