[コラム] 「出稼ぎの国」フィリピン 金持ちオヤジの卑しさ感じる日本
──深見史
巨大なデパート
フィリピンに通い始めて十数年になる。一人で、また友達や恋人と一緒に、今まで何十回とこの国を訪れたが、未だに飽きることがない。いつ行っても変わらないフィリピンの空気が好きだ。それは、時間の穏やかな流れや人々の親切さから感じるものかもしれないが、実際よくわからない。ただ、心がほっと息をついて、呼吸が楽になるような気がするのは事実だ。生活のあれこれにすっかり疲れた時など、排気ガスで汚れたマニラの空気を吸うのさえ、うれしかったことがある。
九月末、「観光地されているだろうから」と今まで敬遠していたセブ島から初めて入国した。セブ国際空港は、実はセブ島にではなく、セブ島と橋(日本のODAで作られたもの)でつながっているマクタン島にある。一六世紀、マクタン王ラプラプは、侵略者フェルディナンド・マゼランをここで殺した。英雄の英雄的な戦いに思いを寄せながら、初めての島を歩いた。
セブ市にも巨大なデパートがある。尋常ではないほどの大きさを持つマニラのショッピングセンターほどではないが、それでもその大きさには驚く。
フィリピンのデパートは日本のそれとは比べものにならないほど大きく、しかも数が多い。広大な敷地の中に巨大デパートが悠然と建ち、買い物客で毎日混雑している。その様子に、「これが貧しいと言われる国か?」と初めて訪れた日本人は皆驚くのだ。
五〇〇万人の出稼ぎ
人口七〇〇〇万人の国に、五〇〇万人以上の海外移住労働者がいる、ということがどんなことなのか、私たちには俄には分からないが、デパートの中に外国人のためではない両替所があり、人々がそこでドルや円をペソに替える姿を見ると、この国にとっての出稼ぎの位置を少しだけ知ることができる。
マニラで知り合った四〇歳の女性が、「これからシンガポールに行ってメイドをするのだ」と言っているのを聞いたことがある。「サウジで働いている恋人がいるが、いつになったら共に暮らせるのか分からない」と彼女は言った。恋人の写真を胸に、彼女はシンガポールに発っていった。文通だけの繋がりで彼らがどんな関係を育んだのか、私には知りようもない。
一人の日本人青年が感心して呟いた言葉が忘れられない。
「国際語は英語なんかじゃない、タガログ語だよ。世界中の国にフィリピン人がいる。名前も聞いたことのないような小さな国でもタガログ語が聞こえるんだから」
「世界のお手伝いさん」
フィリピン人の出稼ぎ労働者は、アメリカはもちろん、ヨーロッパにも、アラブ・アジア諸国にも出かける。その多くは、労務者、船員、運転手など、その国を根本で支える労働に従事する。女性たちは、「アメリカ支配の置き土産」とも言える英語力を使って、サウジアラビアやホンコン、シンガポールで「ドメスティックヘルパー」(お手伝いさん)として働き、家族に仕送りをする。
日本の入管法は、日系人を除いて外国人が「単純労働」に就くことを許していない。日本で働こうと思えば、「研修」という名の期限付き低賃金労働に就くか、目まぐるしく資格更新を繰り返さなければならない「興業」資格などで来日するか、あるいは正規の資格で来日した後、超過滞在者として非合法で働くか…どういう立場であれ、日本に外国人原則排除の建前がある限り、彼らは人間として尊重され法に守られる、とはとても言えない環境にいる。
日本政府は、看護・介護のための人材をフィリピンやタイから導入することを検討中だという。外国人排斥の原則が、背に腹は代えられないところまで来て揺るぎ始めたことは自然の流れとしても、不本意ながら「世界のドメスティックヘルパー」であるフィリピン人(特に女性)を、「介護人としてのみ」働かせようとする日本政府の心根には、金持ちおやじの卑しさを感じて寒々とする。