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更新日:2004/09/31(金)

[コラム] 渡辺雄三自伝第19回

「渡し」を生業にしていた渡邉氏は大阪が発祥の地

渡邉という私の姓も、金官伽耶王族タミール渡来説に関心を持ったきっかけとなりました。大阪に来て驚いたのは、目抜き通り御堂筋の出発点に掛かっている橋の名前が「渡邉橋」だったことでした。

渡邉氏の本貫地を示す渡邉神社が東成区にあり、ここが渡邉氏発祥の地であることを確認しました。人名辞典によると、「福島県中通りの渡邉氏は多田源氏、源頼光の家臣渡邉綱から発している」と書かれていました。

私は子供の頃、父に「うちの先祖は誰?」と聞いたところ、「大江山の鬼を退治した源頼光の家臣、渡邉綱だ」との答えを覚えていたので、父の話はまんざら嘘ではありませんでした。

関西に来て「東北と違う」と思うことは、関西の農民は、東北の農民と違って、自分の出生・出目について無関心だ、ということです。これは、関西の農民が戦国・徳川時代を通じて、天災や戦乱などで移動が激しかったからでしょう。

日本は、名古屋と京都の間で文化的に二分されている、といわれています。酒の辛口と甘口、醤油の薄口と濃口、甘い味噌と辛い味噌等々。この違いは、氷河時代にシベリアから渡来した先住民が住む地域と、氷河時代が明けてから朝鮮半島や大陸から渡来した人たちが多く住む地域との違いに由来している、と言われています。

渡邉とは、もともと「渡し」を生業としている人たちを指した言葉です。当時大阪湾は高槻・枚方の辺りまで入り込んでいたはずで、そこには無数の島や浅瀬があり、そこで暮らしていた人達が私の祖先でした。

このような海を生活に基盤としていた私の祖先は、遠くインドから海を渡って、はるばるユーラシア大陸の東の果てにある日本に流れ着いたのではないか、と私は推測しています。朝鮮半島に、インドからはるばる海を渡って流れ着いた人たちがいたとしても、不思議ではありません。

「君が代」は北九州王朝の春の祭礼の歌だった

この趣味が嵩じて、史跡を訪ねて旅もしました。これで、様々な発見がありました。

福岡の志賀島は中国・後漢の王から送られた金印が出たことで有名ですが、その近くにある志賀海神社を訪ねました。ここには数え切れない鹿の首が奉納されており、一見してここが鹿をトーテムとする氏族の氏神様であることが判りました。

鹿は志賀・滋賀と字や読み方を変え、地名や苗字として全国各地に残っています。熊野は熊をトーテムとする種族の証であり、加茂は鴨をトーテムとする種族であることを示しています。

ここの神主に「春の祭礼でどんな歌が詠われるのですか?」と尋ねると、「わが君は千代に八千代にさざれ石の、いわおとなりてこけのむすまで」、と詠ってくれたのには驚きました。志賀海神社は北九州王朝の氏神様でした。

これは「君が代」の元歌で、「詠み人知らず」として古今和歌集に載っています。これは古田武彦さんが指摘していたことですが、現在の「君が代」は、北九州王朝の春の祭礼の歌だったのです。

熊本・八女にある北九州王朝の王・筑紫磐井の墓も訪れましたが、大和政権の王墓との違いには驚きました。左右に四体づつ、計八体の巨大な動物の石像が立っていました。それは阿蘇山の火成岩の彫刻で、象のような形をした巨大な石像でした。

しかも、既に剥げ落ちていましたが、朱の跡が残っていました。多分、全体が朱塗りであったに違いありません。大和政権の王墓との違いに驚きました。

ここで王が主宰する儀式とはどんな雰囲気だったかを想像すると、その厳粛さに身震いする思いでした。

しかし、北九州王朝は唐が百済へ攻め込んだ時、救援のために軍隊を送りますが、百済が敗北するや、懲罰のため唐はこれを支援した北九州王朝の支配地域に軍隊を送り、占領しています。(つづく)

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