[海外] パレスチナ/ビールとクリスチャンと占領の村、タイベー
──中村ゆうき
タイベーはビールの醸造所がある西岸地区の唯一の村。ラマッラの北に位置し、パレスチナ学府のビルゼイト大学の真東に位置する。一五〇〇人ほどのクリスチャンの村でもある。
村の土地を没収して造られた三つの入植地がこの村を囲み、現在の比較的静かな情勢においても村へ入る道は検問所が造られ、出入りには時間がかかる時もある。そのため、この村の経済は下降が続いている。
西岸地区の主要都市は、〇二年に象徴されるように徹底的な攻撃を受けた。ナブルスは今夏も外出禁止令が敷かれ、悲報が続いている。しかし、主要都市周辺の小さな村も、失業という経済の絞殺で、イスラエルの占領政策の末期症状が現れてきている。
ビールとキリスト教の街・タイベーでも、それは同じだ
占領下のタイベー ビール醸造会社
タイベービール醸造会社は、一九九五年にオスロプロセスの最中に設立された。離散していたパレスチナ人が、故郷を建て直すために戻ってきた。人々は、オスロ合意が「占領の終結」と「パレスチナの建国」を導くことを信じていた。その希望的観測が一人のパレスチナ人をタイベーに引き寄せた。ナジーム・ホーリー氏である。
タイベーの村は、イスラエルに関係する仕事や観光業に依存していた。多くの人々がエルサレムやエルサレム付近の入植地のホテルやレストランで働いていた。また、パレスチナ主要都市ジェリコなどで、多くの若者がサービス業に就いていた。西岸地区の人々はインティファーダ以来、許可なしにエルサレムに入ることはできない。他の主要都市間も検問所によって移動は禁止されている。タイベーでは現在、失業率が四〇%にも及んでいる。
タイベービールでは、外からの労働者が一二人から二人に減った。ここ四年の経済停滞のせいだ。売り上げが八〇%も減っているため、ビール生産はホーリー氏の家族だけで主に担われている。
インティファーダ以前には、ビールの生産は年間最大五万gにも及んでいた。しかし、高騰する海外輸送料や、イスラエル・ヨルダンへの出荷ストップにより、ビールの出荷先はラマッラやエルサレムといった西岸地区内に限られてしまった。地域内の出荷にしても、通常二〇分ほどの距離の場所でも、検問所のせいで四時間を要することもあるそうだ。