[海外] アラブ諸国とパレスチナ/残っているのは「同情」だけ
──リァド・カルワジ(ドバイの近東・湾岸地域軍事研究所最高責任者)「ビターレモン・インターナショナル」8月5日付
豪奢なホテルで、パレスチナの闘いを支援する募金集めパーティが頻繁に行われた時代を覚えているアラブ人は多い。男たちは気前好く財布をはたき、女たちは高価な貴金属をパレスチナ抵抗運動(後にPLOに発展)に寄付したものだった。パレスチナ支援は気高い行為で、すべてのアラブ人の義務であった。それから半世紀近くが過ぎた現在、残っているのは同情だけである。
一九六七年以来、アラファト率いるパレスチナ指導部は、イスラエルだけでなくパレスチナ内部勢力や少数のアラブ諸国に対して、絶えざる生存のための闘いをやってきた。ヨルダンで弾圧を受け、レバノン内戦で手痛い傷を負い、遠くチュニスでの異郷生活、そしてクウェート侵攻・占領した前イラク政権を支持したため湾岸諸国から絶縁され、イスラエルとオスロ合意を結んだためにシリアからも絶縁され、パレスチナ指導部はアラブ諸国政権から多くの信頼を失ってしまった。
九・一一テロもパレスチナの闘いにとって大きなマイナスをもたらした。イスラエルのシャロン首相や、ワシントンのユダヤ人ロビーの精力的な活動によって、米国ネオ・コン政権は、パレスチナ人の抵抗勢力をアル・カイーダと同列に見なすことに同意した。ほんの数ヶ月前まで「正当で英雄的なレジスタンス」と見られていたパレスチナ人の闘いが、「テロ行為」となってしまった。パレスチナ自治政府すらも、周囲の圧力に押されてイスラエル民間人への攻撃を、「テロ行為」と見なすようになった。
ツケを背負わされるのはパレスチナ民衆だ
こういう大混乱の中で、現在アラブとパレスチナの関係はどうなっているだろうか?
軍事に関しては、一九六七年の六日戦争(第三次中東戦争)で西岸地区がイスラエルに占領されてからは、東部戦線での軍事支援はなくなった。南部戦線では、七九年エジプト・イスラエルの「キャンプ・デーヴィッド講和条約」によって、北部戦線ではシリア軍が七三年ゴラン高原、八二年レバノンのベッカー渓谷で敗れ、またPLOのレバノン追放によって、それぞれ軍事支援はなくなった。
政治については、従来パレスチナ人は国連やその他の国際機関で、同胞アラブ諸国の支援を頼みの綱にしてきた。しかしアラブ諸国の指導者がパレスチナを政治的に支援するのは、パレスチナ人を支援する民衆の神経を逆撫でしては、自分の政権の基盤が危なくなるからである。その程度の政治的支援では、例えば二〇〇二年、イスラエルがパレスチナ領を再占領した時、それに抗議してヨルダンやエジプトがイスラエルと一時国交を断絶するという動きは生まれないし、七三年米のイスラエル支持に抗議して湾岸諸国が石油輸出を凍結したような具体的で効力のある政治的動きも期待できない。
財政支援が、パレスチナ社会にとって最も効果があった唯一の支援であった。しかし九・一一の影響およびテロリストと見なされる集団の銀行口座への資金振込みを禁止しようという国際的キャンペーンのため、これもなくなった。せいぜい赤新月社(アラブ世界の赤十字)など少数の組織を通じて、少数の人々が貧困に喘ぐパレスチナ人家族への寄付をこっそり行っている程度である。
かくして、精神的支援だけが残っているすべてである。しかもこの精神的支援は、アラブの民衆レベルからしか出ていない。国家レベルでアラファト指導部の権威は、アラブ諸国の間で大きく失墜している。アラファトと彼の率いる指導部に対する批判の声は、内部からばかりでなく、ヨルダンやエジプトなどの周辺アラブ諸国からも出ている。
パレスチナの闘いのイメージが大きく曇ってしまった。いわゆる「テロに対するグローバル戦争」によって歪曲され、「指導部腐敗」という噂によってイメージ・ダウンし、かくしてアラブ諸国の政府や民衆にとって、パレスチナ指導部と濁りのない、健康的で、生産的な関係を維持することが極めて難しくなった。
パレスチナ指導部は抵抗運動体なのか?もしそうなら、独立国家になるまで指導者は政治家みたいに振舞うのを止めたらどうだ。そのことをはっきりさせ、地下に潜って、抵抗運動に専念すべきだ。平和的抵抗をやるのだったら、武器を捨てて、第一次インティファーダで非常に効果的だったように、民衆レベルの市民的不服従やせいぜい投石ぐらいの大衆運動を展開し、それを背景に和平交渉へ持ち込むべきだ。
アラブ―パレスチナ関係をはっきり「こういうものだ」と表現することは困難である。個々には、例えば指導層とどこかのアラブ国、あるいは武装派とどこかのアラブ国─といった結びつきはある。このあいまいで混乱した状態をすっきりさせ、もっと明瞭な関係を構築すべきだ。さもないと、結局敗北のツケを背負うのは一般アラブ民衆、とりわけパレスチナ民衆になる。