[情報] 映画評/『夜と霧』('55)
データ
「夜と霧」(一九五五年/フランス)
監督:アラン・レネ/撮影:ギスラン・クロケ、サッシャ・ヴィエルニー/ナレーション:ミシャル・ブーケ
非道で愚かなナチスの行為は過去のものなのか?
今年八月一五日は、第二次世界大戦終結から五九年目。アメリカのイラク攻撃や日本での平和憲法改正問題など、いろいろな意味で、今ほど第二次大戦の教訓と平和の意味が問われている時代もないのではないのだろうか。「夜と霧」は、たった三三分という短いフィルムながら、淡々としたナレーションとナチスの記録映像で、戦争の恐ろしさと狂気を静かに訴えかける傑作ドキュメンタリーである。
冒頭、カメラはまず畑に囲まれたのどかな田舎町を映し出す。ヘルゼン、ダーハク、アウシュビッツ。現在の平穏な風景からは、ここが一〇年ほど前、ホロコーストの舞台となった悲劇の地だとは想像もつかない。時はさかのぼって一九三三年。機械のように行進する兵士の映像が流れ、ナチスの狂気の始まりを告げる。何も知らずに連行されてゆく収容者たち。劣悪な環境の収容所内では、あらゆる悪がはびこる。虐待・拷問・餓え・盗み・密告・病気・強制労働・人体実験。目立った行動をすればすぐに処刑され、病人に待っているのは死の注射。患者は包帯まで食べたという。多すぎる収容者たちを持て余したナチスは、やがて史上最悪の大量虐殺へと暴走をはじめる。
山積みにされた収容者たちの遺品。ナチスは女性の毛髪から毛布を作って売り、死体からは、何と石鹸をつくろうとしていた。皮膚を利用して作ろうとしていた皮製品のデザイン画も残されている。滑稽とも思えるほど、愚かな行為の数々。それを目の当たりにした時、私達はなんとナチスとは非道で愚かだったのだと、あきれずにはいられない。だが、これは本当に過去のことなのだろうか?
戦争はまだ終わっていない
終戦後、ナチスの将校たちは口々に「命令には背けなかった」と、責任逃れの言い訳をしたという。それはイラクでの囚人の虐待問題について、アメリカの軍人たちが口々に言った言葉と似てはいないだろうか。私達は終戦から五九年もたっても、まだ懲りずに同じことを繰り返しているのだ。従順や無関心は時に罪になりうる。力の強いものが独走を始めた時、止めるものがいなければ、それが簡単にまかり通ってしまう恐ろしさ。ナチスの悲劇は、現代社会でも再び起こりうる可能性を秘めている。
「戦争はまだ終わっていない」という映画の中の言葉が、私達の胸に鋭く突き刺さる。五〇年も前に作られたこの映画のメッセージは、今なお私達の心に響き続け、永遠に風化することはない。(評者 齋藤 恵美子)