更新日:2004/09/14(火)
[海外] パレスチナ/自治政府内紛・隣人が平和にならない限り、我々も平和にならない
──七月二五日 ウリ・アヴネリ 訳/脇浜義明
気が進まないが、痛む心を抑えて書くことにする。
ユダヤには昔から「余計ないがみ合いがなかったら、神殿が破壊されることはなかったろう」という言葉がある。これは、紀元七〇年エルサレムがローマ軍に包囲された時に起きた内紛から生じた言葉だ。ローマ皇帝ティトラスの軍勢に包囲され、住民が餓死寸前の状態だったのに、ユダヤ教徒派閥間に流血の争いが起き、お互いに殺し合い、相手側の食糧に放火しあった。
これと同じことが、今パレスチナ自治領で起きている。イスラエル軍の包囲と「ターゲット・キリング」に追い詰められ、パレスチナ人同士が争い始めたのだ。民兵同士が撃ち合い、指導者を襲撃し、事務所に火を放っている。
イスラエル占領軍の将軍や政治家たちは大喜びのしたり顔で、「だから言っただろう。パレスチナ人には自治能力なんかないんだ。交渉できる相手、和平交渉の相手なんかいないのだ」と言っている。
そもそもガザ地区の現状は、シャロン政府が作り出したものだ。だから、そういう発言は、両親を殺害した息子が「お慈悲を!ぼくは孤児なんです」と、裁判官に訴えているようなものだ。
ガザの統治権をめぐる権力闘争
アラファト暗殺は民族浄化への道
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