[コラム] 渡辺雄三自伝第17回
マオイズムでよみがえった敗戦後の日本経済
一九二九年に世界大恐慌が発生しますが、スターリンは「これで世界戦争が避けられない」と判断し、重工業建設を決断します。だが、重工業建設には莫大な資金を必要としますが、この資金をどのようにして捻出するかを巡って、国内で論争が起きました。
彼が下した結論は「農民に農業機械を製造原価よりも高く売って調達する」でした。言い換えると、ソ連の「五ヵ年計画」は、農民階級への過剰な収奪を前提に作成されました。
だが、もし中国で同じ事をしたら、社会主義体制の基礎をなす労働者階級と農民階級との政治的同盟(労農同盟)にひびが入り、社会主義政権に対する農民の信頼が失われてしまいます。そこで、中国共産党指導部が出した結論は、「五ヵ年計画策定に当って、労働者階級の平均所得と農民階級のそれとを同額にする」でした。
これは経済的にいうと、工業よりも農業の方が生産性が低いので、市場の自然発生的な調整に委ねるなら、自ずから労働者の賃金の方が農民の所得よりも高くなります。そうなれば、農民は農機具・農業資材・農薬などの工業製品を購入できなくなり、工業の発展にも支障を来たします。 そこで農民の所得を、工業製品を買える水準にまで人為的に引き上げることで、農業と工業の均衡が取れた経済発展が可能となります。
従って、工業部門と農業部門とが均衡した「国民経済建設」の立場からいうと、市場による調整(経済的合理性)よりも、政治的な選択の方が優先されなければなりません。
これと同一の文言が、日本の「食糧基本法」に書かれていたのをご存知でしょうか?この法律は、一〇年前の「米の輸入自由化」と共に廃止されましたが、この第二条には「農民の年間平均収入が都市労働者の年間平均賃金と同額になるよう、米価を定めなければならない」と書かれてありました。
こうして、日本の戦後経済はマオイズムによってよみがえったのです。ソ連における「社会主義的原始蓄積論争」、そして中国で生まれた「マオイズム」がなければ、今日の日本はありませんでした。
「高い米価」が工業─農業にベルトを掛け国民経済の循環を生んだ
戦後日本の経済復興計画に、誰がこれを書き込んだのでしょうか?私の推測ですが、戦後の日本経済復興計画を作るために復興院(戦中の企画院)に集められたのは、当時東大経済学部にいた労農派系の学者でした。
マルクス経済学者は戦前、共産党系の「講座派」と、社会党系の「労農派」に分かれていましたが、講座派の学者が政治的に解放されたのは四五年一〇月一〇日。それまで監獄に拘束されていた共産党幹部が解放されてからでした。
労農派も講座派も含めて、マルクス経済学者は戦前、ソ連の中で巻き起こっていた「原始的蓄積論争」の行方、それに対する中国共産党の反応を注視していたはずです。それで日本の食糧基本法にも同じ文言が書き込まれることになった、と私は推測しています。
私も共産党のビラを撒いていると、労働者から「米価が高いから生活が苦しい」と、よく文句を言われました。しかし、高い米価のおかげで、農民は農薬・農業用資材・農機具など工業製品を購入することができ、こうして工業と農業との間にベルトが掛けられ、国民経済の循環が生まれたのです。(つづく)