[情報] 映画評/『友達のうちはどこ?』齋藤恵美子
作品データ
(1987年/イラン)
監督、脚本: アッバス・キアロスタミ
出演:
ババク・アハマッドプール
アハマッド・アハマッドプール
世間の価値観に縛られてしまう大人たちの中で、悩み考えて成長する少年の姿
六月に「第一六回世界文化賞」を受賞したイラン映画の巨匠、アッバス・キアロスタミ初期の代表作。主人公が、山あり谷ありの人生を象徴しているような、ジグザグの坂道を往復するシーンが登場することから、「そして人生はつづく」「オリーブの林をぬけて」と並んで、『ジグザグ三部作』と呼ばれている。長年、教育映画を制作してきた監督らしく、子供の微笑ましいストーリーの中にも、イランの教育の現状や、大人の理不尽さが鋭く描かれている。 主人公の少年アハマッドが、学校から帰って宿題をしようとすると、間違えて隣の席のネマツェデのノートまで持って帰ってきてしまったことに気付く。その日、ネマツェデは宿題をやっておらず、次にやったら退学にすると先生に言われていたので、悪いと思ったアハマッドは、遠くに住む彼の町まで、ノートを返しに行こうと決心する。しかし彼の住所を知らなかったために、なかなか家を見つけることができなくて……。
映画は全編アハマッドの視点で描かれる。知らない町を一人さまよう少年の不安。それを観て観客は自身の幼少時代を思い出し、知らないうちに少年と一緒にハラハラドキドキさせられている。
そして、周りの大人達の描写も興味深い。「規則を守れ」と繰り返す先生、「宿題が先」と言って話を聞いてくれないお母さん、「子供は殴って育てる」と固く信じているおじいちゃん。彼らを通して、自分の信念ではなく、世間の価値観に基づいてしか教育を考えられない大人達の姿が浮き彫りになってくる。しかし「大人は正しい」と教えられているアハマッドは、その純粋な心で悩み、結局本当に大切なものとは何かを、自分で考えて判断する。その姿には、思わず拍手喝采せずにはいられない。
この映画では、「ドア」をめぐる数々のエピソードが登場する。老人に鉄のドアを売りつけようとする大工、遠くの町で出会った元ドア職人の老人。彼の「最近は、一生壊れないといって、みんな鉄のドアにするが、人生とはそんなに長いものかねぇ」という言葉は、深く胸につき刺さる。私はこの「ドア」とは、人と人との繋がりの窓口のようなものを象徴しているのではないか?と思う。人と人との通用口であったはずのドアが、いつの間にか他人から自分を守る道具に変わりつつある、そんなメッセージが含まれているのではないだろうか。
そして終盤、宿題をしているアハマッドの後ろで、ドアが突風で吹き飛ばされ、目の前に仕事をしている母親の姿が現れる。無垢な少年が大人の苦労を垣間見た瞬間である。彼はこの時、何かを感じ取り、また一つ成長したのではないだろうか。
キアロスタミは近作「桜桃の味」で、自殺志願の男と老人との心の交流を描いている。「少年を描かせたら世界一」と称される彼が、老人をどう描いているのか、ぜひ一度観てみたい。(評者 齋藤 恵美子)