[政治] 靖国第二次訴訟判決・大阪地裁が靖国参拝に「合憲」のお墨付き/小泉に媚びを売る吉川裁判長
──単福
公用車を使い秘書官同伴でも「私的」という珍判決
五月一三日、大阪地裁で、「画期的な」判決が下りました。各地で小泉の靖国参拝に対して、民事訴訟等で闘っている中の一つ、通称「台湾訴訟(台湾原住民を含む台湾出身者が訴えの中心)」と呼ばれている靖国裁判で、裁判長の吉川慎一は、これまでの判決内容を一八〇度方向転換し、「合憲」とも言えるお墨付きを小泉に与えた。
この訴訟では、台湾出身者一二四名を含む二三六人が、国・小泉首相・靖国神社に対して一人一万円の損害賠償請求を求めましたが、憲法判断もせず、公用車を使い秘書官を同行し、公約である靖国参拝を実行した行為を、「私的領域である」と判断したものである。
小泉の靖国参拝を問う裁判(全国六地裁で七件)は、第一次大阪・松山・福岡に次いで四番目であるが、「首相の職務にあたらない」とした判決は、これが初めてであった。福岡では、損害請求は退けたものの、実質的な違憲判断をした判決であった。この判決の中で述べられた「職務行為外見説」とは、普通の人が客観的に見て、職務行為と見えれば職務行為だというもので、福岡地裁判決はこの説を採用している。しかし、吉川の珍説は、「公用車を使い、秘書官を伴っていても、一緒にいるだけであるから、公的だが職務でない」という訳のわからない詭弁を使って弁護している。本人が内閣総理大臣として、しかも公約までして参拝しているにもかかわらずである。第一次大阪訴訟は、内容のない判決であったが、ここまでは言及しなかった。従って今回の吉川裁判長が出した判決は、ある意味で「画期的な」判決といえる
台湾原告団の参加
この裁判(第二次大阪─台湾訴訟)が他の裁判と大きく違うところは、台湾原告団が初めて参加したことである。靖国と台湾の関係を述べてきた裁判でもあった。台湾における皇民化教育、兵士として駆り出されていった侵略戦争、霧社事件での日本軍によるタイヤル族へのジェノサイド、台湾植民地過程での苦悩や思いをこの中で述べてきた。タイヤル族に至っては、霧社事件で殺しながら、高砂義勇軍として駆りたてていく。祖先や兄弟を殺した日本軍兵士と同じところに、高砂義勇軍で犠牲になった原住民を強制的に祀っており、その魂を持って帰ろうとしても拒否をする靖国神社に対しての怒りの裁判でもあった。
「皇民化政策」の象徴としての靖国を撃つ!
靖国神社のもう一つの顔、侵略・植民地・虐殺・同化─皇民化政策の象徴として、死んで初めて「天皇の赤子」となる天皇制の象徴としての存在を問題視してきた。
単なる「信教の自由」を問う宗教裁判(国家が宗教に関与しているかどうかといった憲法解釈の枠上の争い)ではなく、国家として大きな機能を発揮してきた靖国神社そのものを問う裁判であったのだ。だからこそ台湾だけでなく、韓国や沖縄の人民が問うてきた裁判の意味があるのである。結果として、「信教の自由」という枠内での判決であったとしても、その内実は多くのものを含んでいるのである。福岡での判決が,そういった意味で踏み込んだ判決という意味で画期的であり、今度の判決はその正反対であるという意味で画期的なのである。
台湾の立場から言えば、「台湾をよく評価してくれたものである」と。「植民地を馬鹿にしている」という捉え方もあるかもしれないが、台湾の怒りに対して、逃げることでしか意思を表明できなかった裁判でもあった。
吉川裁判長はこれで、立身出世間違いないと思うが、個人の利害を、全体の利害の上に置いた判決を下した。小泉に媚びを売ることでしか自己評価できない、裁判長の資格すらない人物であったといえよう。歴史の評価に耐えられないものとして、永久に残るであろう。
悩む必要はない
原告の一人、チアスアリは、「台湾でも裁判は信用されていない。権力の僕としてしか存在していない。しかし福岡の裁判は、評価できる判決であった。同じ裁判でどうしてこんなに異なる判決が出るのか。同じ裁判なのか 」と判決後に語った。
私は、この判決は「大きな意味で良い判決である」と思っている。第一次大阪訴訟の判決のように、二〇点や三〇点などと評価することがないのだから。マイナス評価しかない判決である。〇点以下なのだから、悩む必要はない。中途半端でなく、小泉に代表される軍国主義を代弁する見解(今の法上の枠内で)が出たと思っている。後は闘うだけである。誤魔化しはいらない。「闘え」とエールを送ってくれたのだから、原告団は闘うしかないのである。
イラクへの自衛隊派兵は、愛国心を高めていく役割も担わせている。小泉は、「次は連合軍に参加する」と言っている。どうしても戦争がやりたいのだ。そのためには靖国は必要なのだと。吉川裁判長も同意見なのだ。
まともに判決を読むこともなく、言い訳だけをして吉川裁判長はそそくさと逃げかえった。傍聴席からの「糾弾!」という罵声を背中に浴びて。