[情報] 映画評/『現金に体を張れ』
「レザボアドッグス」や「アモーレスペロス」など、今でこそ時間軸をバラバラにし、過去や現在・未来の間を自由に行き来してストーリーが展開していく映画は珍しくないが、なんと一九五六年当時にすでにそれを試みていたのが、天才スタンリー・キューブリックである。革新的なストーリー展開が当時から注目を浴び、現在では「サスペンスの傑作」と評されている。
冒頭は、迫力ある競馬場のレースシーン。一攫千金を狙う客たちでにぎわう、いつもと変わらない風景の裏で、着々と前代未聞の強奪計画が進行している。計画の首謀者は五年の刑期を終えて出所したばかりのジョニー。大金を手に入れた後、恋人と静かな暮らしをしようと考える彼は、競馬場の帳簿係のマービン、窓口係のジョージ、バーテンのマイク、警官のランディーを仲間に引き入れて二〇〇万jの売上金強奪を計画する。レース当日、順調に計画は成功するが、強欲なジョージの妻がその金を横取りしようとしたことから、事態は思わぬ方向に展開する……。
事件のクライマックスとなる第七レースを軸に、その時刻の登場人物たちの行動が、それぞれの視点から繰り返し映し出される。それによって観客は、一枚ずつ皮をはがしていくように、計画の全貌を知っていくのである。そして終盤のアッと驚く展開、緊迫感あふれるラストまで観るものを飽きさせない。
サスペンスの面白さは、ストーリーよりもその「見せ方」で決まる。観客に何を「見せ」て何を「見せない」のか。例えば「アンタッチャブル」では、背後から迫る刺客の姿を、観客だけに見せるビルの外からのロングショットにはハラハラさせられたし、「サイコ」では二重人格の青年を、あたかも二人であるかのように見せる演出にはダマされた。
そしてこの映画の面白さは、計画の全体像が最後まで見えないこと。登場人物は個々に与えられた役割をこなしていくのだが、その行動に一体どんな意味があるのか、終盤まで分からないのだ。観客は「?」を引きずったまま、最後に強奪を実行するジョニーの行動を追うことになる。
その時点になって初めて、それぞれの役割が目からウロコ的に観客に明かされていくのだ。実に見事なキューブリックのサスペンス手腕。登場人物たちにあえて感情移入せず、客観的に行動をとらえたクールな演出もいい。これを撮影当時、彼は若干二八歳。すでに非凡な才能は異彩を放っていたのである。(評者/齋藤 恵美子)