[社会] バンダナ・シバ氏インタビュー「グローバリズムを越える生命系民主主義」
グローバリゼーションは形を変えた戦争
Q:昨年春、来日された際に、あなたは「イラク戦争に反対する闘いも環境・自然を守る闘いも、同じ一つの闘いなのだ」とおっしゃいました。私たちは、その言葉に非常に感銘を受けました。「同じ一つの闘い」という意味について、改めてお話し下さい。
V:私は反グローバリズム、反戦運動はどちらも民主主義、平和、持続可能性を推進するための運動だと考えています。私たちは、戦争をつくりだし、不正義をつくりだし、環境を破壊するある共通のものに対して抵抗しているのです。WTOの下でグローバリゼーションをもたらし、イラク戦争を勃発させたのは、同じ勢力、同じ組織、同じ権力に属する人々です。異なる人々によってもたらされたのではありません。
私の考えでは、彼らはWTOのルールを書き、経済上の戦争を引き起こします。同時に彼らは他国を爆撃し、戦争によって市場をつくりだそうとしています。一方で経済を戦争に変え、他方で戦争を経済に変えているのです。これはコインの表裏のような関係で、いつも同じ人々の手によって行われているのです。従って、この勢力に抵抗する運動はすべて同じ運動だと考えなければなりません。
私はグローバリゼーションを、形を変えた戦争と呼んでいます。そして戦争は、形を変えたグローバリゼーションです。私がグローバリゼーションというとき、ここにこうして私たちと共に過ごしたり、農場へ行ってもらう必要は必ずしもありません。私が「国際的な連帯」と呼ぶものは、同じ考えを持つ人々の集団ということで、その中でお互いに普遍的な理解の心や尊敬を持っているということです。
グローバリゼーションは経済的な戦争のことで、それは資本や企業によって引き起こされます。人々が行う国際的な連帯に対する批判ではありません。 Q:あなたはグローバリゼーションに対抗するものとして生命系民主主義運動 (Living Democracy move- ment)を提唱されています。生命系民主主義運動についてお話し下さい。 V:私の見方では、生命系民主主義運動はどこかで集約されることなく自律的に、しかし着実に、世界の非常に多くの地域で拡大してきている運動です。私としては、反グローバル運動そのものを生命系民主主義運動と呼びたいと考えています。
私たちは、インドで独自の運動スタイルを形作ってきました。私たちには、日頃から他団体やコミュニティー、農家などと一緒に活動してきた仲間がいるので、相互に意見交換し、運動を強化するための方策について頭をつき合わせて考える、ということができました。その結果、一九九九年になって、いくつかの農村と共に、自家採種や有機農業など個別の「活動」のレベルから脱皮して、新たな世界観を形成するということを始めたのです。新たな世界観というのは資本主義や企業支配の経済に変わる代替的かつ有効な概念のことです。
生命系民主主義運動という名称は、ヒンズー語で「ワスンダヘーバ・クトゥンバカン(地球はひとつの家族)」を意味する深い意味を持つ言葉を翻訳したものです。すべての木々や川、植物や牛もすべて一つの家族です。私はこれを生命系民主主義運動と呼びます。それは、私たちの運動が現在の代表的な民主主義とは異なるものであることを強調するためです。
私たちが普段、民主主義と聞いて理解するような民主主義は、グローバリゼーションの中に取り込まれています。国は企業によってすっかり取り込まれてしまっています。国は企業の欲を満たすために働きます。従って、グローバリゼーション下にある民主主義は、非民主主義的になってしまったのです。生命系民主主義運動は三つの点で「生きている(「Living Democracy」の「Living」は「生きている」、という意味)」のです。
一つ目に、それは私たちすべてのために存在する、ということです。それは政治家や議員のためにあるのではありません。それはすべての市民のためというだけではありません。すべての市民のためであると同時に、すべての生命のためのものです。従ってそこでは、生態系が中心に据えられます。
二つ目に、生命や死に関して関心を強く持つために「生きている」民主主義ともいえます。企業の利益ではなく、私たちが生きていくために不可欠な水や食料、農家が生きていくための適正な所得を第一に考えます。
三つ目に、生命系民主主義運動はそれ自体「生きている」のです。従来の民主主義は民主主義として機能しておらず、死んだも同然です。
進化を計る指標
V:これら三つの側面は、二つのことにつながっています。ひとつは文化的事項です。自然保護の倫理は、森に住む人々の生活に見られます。私のエコロジー観は、ヒンズー教の神のひとりであるラーマーヤナの倫理に根ざしています。ラーマーヤナは、一四年間国外追放されていたのですが、そのころ生活したのがその森です。何百万もの人々がその森を訪れましたが、その森はまだ開発されることなく、木々は生き生きと育っています。河川も流れています。そこには自然保護の倫理が生きているのです。生命系民主主義運動では、樹木や河川を私たちの母であると考えます。そうすれば、その自然とどのように付き合っていくべきか、自ずとわかるはずです。材木を伐り出せば、水を売れば、どのようなことになるか、ということを考えることになります。生命系民主主義運動の考え方は、すべての人々や生命に関して、自然保護の倫理を広めることができます。それは利益ではなく、思考に光を当てるものです。
二つ目は「進化」を図る指標の変更です。私たちインド人は西洋文明とは異なる文化を持っています。私たちは際限ない消費や欲を「進化」の指標だとは考えてきませんでした。しかし、西洋社会の異なる考え方を私たちは受け入れてしまってきたのです。そこではより多く富を蓄積し、より多く他者から奪うことができれば、より「進化」したことになります。より多く自然を搾取し、より破壊的な機械をつくれば、より大きなダムをつくれば、それは「進化」の印だと賞賛されます。より毒性の強い農薬を開発することや、遺伝子組み換え技術も、「進化」の印だとされています。
生命系民主主義運動では、進化の指標とは、与え、協力し合うことで、お互いの生命を維持することに資する能力のことです。ここではお互いの生命は補強し合う関係であると考えられます。「利益」の概念は、他者を否定することで私がより多くを得る、というものです。しかし生命は、他者に資することでより自分自身の生命を養うことができるという関係のもとに成り立っています。
母は、子供の世話をすることでより大きな生命力を得ることができます。資本家は、身の安全、食料・水・仕事など、社会で人々が有するべき権利を否定することでより利益を得ます。森林は教師のような存在です。従って、私たちが農場につくった学校も「ビジャ・ビディヤピース(種は先生)」と名づけました。
私たちは自然から学ばなければなりません。社会を変革しなければなりません。私たちはお互いに学びあう必要があります。しかし、私たちは他者からも学ばなければなりません。私たちは種が自分自身で再生を果たしていくことから、学ばなければなりません。私は、現在人間は危機に面していると感じています。人間は自分たちの力で「再生する力」を失ってきています。そのために多くの国で自殺が伝染病のように増えてきているのです。
日本・インド・韓国など、あらゆる国で自殺が増えています。これは、私たち自身の生命を再生させるという能力が死んでいっているということです。私たちが住む社会や生態系を再生していれば、朝起きて世界と向き合い、一日がまた始まるということが楽しみになるのです。私たちの後の世代、数世代後の子孫は、そのような能力を持てるようにすべきです。将来の世代は、自分たちの生命から逃げ出すようなことがあってはなりません。
WTOは人間に損害を与える
Q:昨年九月、メキシコのカンクンで行われたWTO閣僚会議では、インド政府やブラジル政府、発展途上国政府の抵抗により、米国やEUなどの「先進国」の目論見が頓挫に追い込まれました。あなたは、今回のWTOカンクン会議をどう評価されているのでしょうか。
V:カンクンでは、企業のために市場を開放するということが失敗したのであり、企業の貪欲さにとって、力を持つ国々にとっての敗北でした。しかし運動にとっては失敗ではありませんでした。カンクンでの結果は、運動体にとっては「勝利」でした。私たちはカンクンで、シアトルで持っていたのと同じ目的、即ち交渉を中断させるという目的を持って、交渉を中断させることに成功したのです。
交渉の進展は人間に損害を与えるものですから、交渉の中断は望ましいことであり、私たちにとっては「成功」といえます。しかし、交渉を中断させることは決して最終ゴールではありません。私たちは次のステップとして、オールタナティブ(代替的な方策)をつくりだしていく必要があります。中断は必要です。
私たちが農業を持続させることができれば、種を保存していくことができます。しかしグローバリゼーションのもとでは、アメリカは日本に米をダンピング輸出しています。インドには小麦で同じことをしています。鳥インフルエンザが世界中に拡大していくのを許しています。こうして一国の農業が成り立たなくなってしまう前にグローバリゼーションを阻止することが必要なのです。そして次にオールタナティブを構築し、地球、農家、人々の健康を守るという行動に出なければなりません。 Q:デラ・ドゥーンの町にあるナブダーニャの農場とそこでの教育プログラム「ビジャ・ビディヤピース」ができた理由、その経緯について教えてくれませんか? V:実は私の母は農家でした。しかし私は一九九一年に母から相続した土地を売却し、私の活動の拠点となるこの事務所を開設しました。GATTやWTOについて政府にしっかり認識させるような活動が必要だと考えたからです。
それよりも以前、一九八七年に私は種子に対する特許や食料貿易について初めて知ることになるのですが、代替的な農業のやり方のモデルをつくらなければ農家の生計は成り立たなくなってしまうことに気づき、それで種の保存活動を始め、「ナブダーニャ」の活動を開始しました。
最初、私は農家を通して全国的に種の保存を行いました。しかしそのような活動は分散的で非常に目に見えにくいものでした。そこで私たちは、自分たちのアイデアが体験できるような場所が必要であることに気づいたのです。農場は、農家自身が採種した種が劣等ではないこと、有機農業が世界を養うことができるということを実証するためにあります。さらに、有機農業なら土地との信頼関係のもとに農業が行いうること、化学薬品に依存した農業のやり方に固執する必要はないことを教えるためでもあります。 農場はまた、農家が交流し、共に作物を選び、学びあう場です。農場は自然と農家の知恵に対する贈り物だと考えています。
自家採種の種は希望の種だ
Q:あなた方の活動はインド社会にどのような影響を与えたとお考えですか?たとえば種の保存運動はどの程度人々の間に浸透したのでしょうか?
V:インドの六〇〜七〇%の農家はまだ自家採種をしています。しかし一部の作物については、多くの農家は自家採種をあきらめてしまいました。ひとつは綿花で、遺伝子組み換えされたモンサントの綿花が市場に現れたことが影響しています。もうひとつはモンサントの多収量品種が市場にもたらされたトウモロコシです。
他の作物については、農家がほとんど自家採種をしているといえます。私がちょうど最近訪れていた地域では、菜種やマスタード・ヒヨコ豆・キマメの優れた品種の種を、農家が自家採種していました。
私たちの一五〜一六年の活動を通して、私たちは人々の考え方を変えることに大いに貢献したと思います。以前は、農家が自家採種した種や小規模農家というものはなくすべきものだ、という考え方が支配的でした。しかし私たちが種を保存し、農家と共に採種を行ってきたことで、今日の社会において私たちの考えを許容する余地が生まれたことには確信を抱いています。
従来の見方―農家によって保存された種や小規模農家というものは廃れゆくものであり、原始的なものであるというもの―を否定し、農家の種は将来の希望の種であること、小規模農家は社会の希望の種であるということ、どのような社会も、小規模農家が社会の中心に据えられるべきであるという考え方を私たちは広めてきました。そうでなければ、私たちの健康は損なわれ、民主主義も成り立ちません。
自分たちが食べる食料に、何が入っているかを知らないような状態で成り立つような民主主義なんて、民主主義と呼べるでしょうか?
私たちの普及活動を通して、二〇万戸の農家が化学物質の使用をやめました。少なくとも二千の農村では、生命系民主主義運動を実践しています。つまり、自家採種を行い、種苗会社が村に入ってくるのを防ぐ、という運動に参画しているのです。
先日私が訪れた地域でも、二日間で五〇もの農村が「生命系民主主義運動を実践する」と約束してくれました。農業大学の人々にも話をしてきました。すると彼らは、「化学物質を使うのをやめた」、と言ってきました。
私は農家個人レベルから、政策レベル、全国的・国際的なネットワークまで、多様な活動に関わってきています。新しい社会をつくりだすという目的を共有した人々との強固なネットワークを通して、お互いの力をもっと強化できれば、と願っています。
二〇〇四年二月一三日(金)