[海外] バグダッド/地獄の扉を開く
決定的な転回点
米英等によるイラク侵略の前に、アラブ連盟のアムル・ムーサ事務局長は、米国の対イラク戦争は「地獄の扉を開く」だろうと述べていた。
イラクでは、地獄の扉は広く口を開けつつある。少なくとも、米国(とそれに協力する諸国)にとっては。
「スンニ派とシーア派は、今や手を握った。一つになって米国に反対している」。バグダッド西部にある、シーア派がほとんどであるシュアラ地区。そこのスラムで、焼かれた米国の戦車運搬車を陰にして、ある人が私に語ったことである。
実際のところ、シュアラ地区の米軍を押し戻したのは、スンニ派とシーア派の人々が団結して闘ったからである。さらにこの闘いは、サドル師のマフディ軍団によってではなく、地元の組織化されていない人々によってなされたことに、誰もが同意している。
イラクでの抵抗が、米国が統制できるかどうかに係わらず、最近一〇日の出来事は、イラク占領における決定的な転回点を示していることは、すでに明らかである。
ファルージャは、確かにスンニ派アラブ人が多い地域であるが、「サダム支持の拠点」などでは全くない。実際、戦争の時、ファルージャは抵抗の強い地域ではなかった。ファルージャが抵抗に転じたのは、昨年四月二八日、米軍兵士たちが、一〇〇人から二〇〇人の平和的な抗議行動者たちに向けて発砲し、一五人を殺してからである(「民主主義が広まるよりも、武力を行使することを選んだ」ブッシュと米軍・侵略の最初から、そして侵略占領後も)。全てのイラク人目撃者は、この群衆は非武装だった、と述べている。その二日後、さらに三名が殺された。
これらの事件により、この地域の多くの人が抵抗運動に参加し、自分たちでグループを結成した。暴力の応酬があり、さらに占領軍が頻繁に集団懲罰を街に加えたため、ファルージャは占領に対する怒りの煮え立つ場所となった。
ブラック・ジョーク
ファルージャにおける最近の戦闘では、街が封鎖され、一二人の海兵隊員と他の二人の兵士、そして少なくとも六六人のイラク人が殺された。
けれども、CPA(占領統治機構)は、スンニ派とのこうした大きな抗争に満足せず、サドル師に従うシーア派の人々に対しても戦いを始めた。
「サドル師が民主主義を脱線させようとして、この暴力を開始した」というブッシュの主張は馬鹿げている(犯罪的でもある)。
第一にサドル師は、これまで扇動的レトリックを用いてきたが、彼も彼に従う人々も、常に、占領軍に対する暴力を行う手前で自制していたのである。
第二に、今回の暴力を引き起こした出来事は、サドル師の週刊紙「アルハウザ」を閉鎖したことにある―これがあからさまな反民主的行為でなくて、何であろう。実際、新聞が閉鎖されたのは、ただ単に、新イラク国防軍のボランティア多数を殺した自動車爆弾による爆撃とされる事件が、実際には、空から(米軍により)なされたという、ある目撃者の証言を掲載したからである。
イラク人に笑われるために、「米国が、イラクに自由と民主主義を持ち込んだ」ということほど即効の効き目のある言葉はない。サドル師の事務所の報道官ラスール・グラウィ氏は次のように言った。「これが民主主義だって?平和的なデモ参加者を攻撃することが?人々を殺して建物を破壊することが?」
占領下の生活そのものが悲劇
ファルージャの状況は、概ね偶然の出来事(とはいえ引き続く小衝突から不可避であるような)だったようだが、様々な状況から、サドル師の信奉者たちへの攻撃のタイミングは、意図的に選択されたといえる。それは恐らく、六月三〇日に名目だけの「主権委譲」を行う前に、サドル師を政治的領域から閉め出そうとする試みであったのだろう(さすが民主主義)。
現在起きている暴力はニュースで大きく扱われているが、ある意味で、それは本当の話ではない。一〇〇人もの人が、この一〇日間で殺されたことは悲劇であるが(現在では六〇〇名に達している:編集部注)、占領下の毎日の生活そのものが、悲劇なのである。
現在米国人に対して激しい抵抗運動を展開しているバグダッドのシーア派スラムに暮らす人々は、これまでサダムを本当に忌み嫌っていた人々である。サダムの弾圧、そしてまったく省みられない状態―米英主導の経済制裁の中で、乏しい資源と代替部品は、政治的にサダムに気に入られた地域に行っていた―の下で苦しんできた人々である。米国の占領後に、大きな改善を期待していた人々なのである。
一九九一年の蜂起に参加した元イラク軍の軍人で、現在はシュアラにおけるサドル師の報道官をやっているサドゥン・アル・シェマリ師は、私に、次のように語った。「事情はサダム時代とまったく同じだ―おそらくは悪化しているかも知れない」。
イラク占領について、みなさんが知る必要があるのは、こうしたことだろう。