[海外] イラク現地レポ/戦争から一年、翻弄されつづけるイラク
活気溢れる市場
三月二〇日、昨年のあの開戦からちょうど一年。バグダッド市内では、特に大きなデモがあるわけでもなく、また、懸念されていた大規模なテロが起きるわけでもなく、市民は商いに勤しみ、米兵はCPA(暫定占領当局)のプロパガンダ新聞をせっせと配り、道路は明日が祝日のために地方へ向かう車でごった返している。ごくごく普通の日常の時間が淡々と流れていた。
この一年で、イラクはどのように変わったのだろうか。全体として、「市民の生活は戦争前と比べて良くなっている」という声は多い。関税がないため、市場には様々な輸入品が、所狭く並んでいる。戦前と比べて市内の車の交通量が一五倍以上にも増えたことによる大渋滞と、その排気ガスによる大気汚染には辟易するが、商人にとって今は絶好の稼ぎ時だろう。
市場はどこも活気で溢れている。基本的な食料配給も続いているし、公務員の給料も、戦前は月五ドルにも満たなかった人が多かったが、今では当時の一〇〇倍近くももらっている人がいるとのことだ。物価もそれに伴って騰がってはいるものの、さすがに一〇倍も騰がっていないので、仕事がある人にとっての生活は確実に良くなっているのだろう。
取り残された人々
しかし、復興の光から取り残された人々の苦悩は続いている。病院・学校・その他公共施設では職員の給料は出ていても、備品などの予算は極端に少なく、子どもたちをはじめとして、元々弱い立場の人々の状況は全く変化なしか、むしろ悪化すらしているのだ。特にウラン兵器の放射能汚染の影響が疑われている、白血病などのがんに苦しむ子どもたちが必要としている抗がん剤の不足は深刻で、日本のNGOの支援で何とか繋いでいるのが現状である。
盲学校や聾学校などの障害者施設では、略奪によって様々な備品が不足したままで、何よりもバスが足りなくて学校に通えない子どもたちがたくさんいる。戦前は政府からの庇護があったパレスチナ人の中には、アパートを追い出されてテント生活を余儀なくされている家族がいる。また、戦前イラク軍関連の仕事をしていた人を中心にした失業問題も深刻で、持つ者と持たざる者の格差は広がる一方である。
そうした不満の声は、戦争や占領軍による不当な暴力によって家族を失った人々、また拘束されたままになっている人々の苦しみの声に重なり、市場の狂宴にかき消されそうになりながらも決して途絶えることはない。
米軍にとっての治安は最悪
さて問題は治安である。治安とは一言で言っても様々であるが、例えば、首都陥落後に横行した略奪や強盗などは、イラク警察が機能してきたこともあってか、だいぶ減ってはいるようだ。「夜間外出禁止令」も解かれているので、そういった意味での治安について言えば、あの中東でもトップクラスに治安の良かったといわれる戦前にはとても及ばないものの、確実に改善されてきているといえるだろう。
我々のような丸腰のNGOでも、地域に溶け込んで地元住民の信頼関係をもとに安全に活動ができている。
それでも占領軍や、それに協力する外国軍、大きな国際機関に対する攻撃は相変わらず止みそうにないので、特に米軍にとっての治安は最悪であろうし、巻き添えを食らう危険は常に存在する。そしてここ最近は、ターゲットがイラク警察などの俗に言う「ソフトターゲット」に移ってきており、さらに先日のシーア派の祭日アシュラに、カルバラとカズミアで起きた自爆テロ、ここ数日のホテルなどを狙った爆破事件をはじめ、対象が拡散してきているのは火を見るより明らかだ。
イラク人の多くは、「こうした事件はアルカイダなどの外国人か、CIAが関与していて、もともとうまくやっていたスンニ派とシーア派の対立を煽っているに違いない」と言う。その手は食わない、と思いのほか冷静に見ているイラク人が多いのには安心するし、本当のところはどうかわからないが、いつどこで巻き添えを食らうかわからないという恐怖は市民の間でも高まってきている。
現地スタッフのサラマッドも「戦争なら覚悟や準備ができるが、今は対処のしようがない。間違いなく状況は悪化している」と言う。そして「アメリカはこの国を良くすると言ったが、治安はますます悪化する一方だ。理由は簡単で、アメリカのやり方が間違っているからだ。今こそ、最も国際社会からの協力が必要なのに、こう治安が悪くなると誰も来なくなるので本当に困る。イラク人のほとんどは、もう戦争にもテロにも疲れ果てていて、もう勘弁してほしいと思っている。今世界に求めている協力は、軍隊を送るという間違った協力ではない」と続ける。
日本への期待は雇用の創出
戦前、戦中そして現在に至るまで、イラク人の多くは相変わらず親日的だ。たいていどこに行っても「ヤバニー(日本人)グッド」と歓迎される。よって自衛隊についても、占領軍とは違うし、日本人ならNGOだろうが軍隊だろうが歓迎するという肯定的な見方をしている人が多い。
しかし何よりも彼らが日本に期待しているのは、やはり企業が来ることであり、雇用の創出である。自衛隊歓迎という人に「でも自衛隊はイラク人を雇いませんよ」と言うと、しばし言葉を失っていた。このような過剰な期待に自衛隊はどこまで応えることができるのだろうか。
サダムの悪口を言ったり、ちょっとでもからかったりしただけで逮捕又は処刑されてしまうという恐怖政治から解放された市民は、今では自由にものが言えるようになった。今ではもうイラクディナール札は全て新札に変わってしまったが、サダムの肖像が印刷されていた旧札を「サダム一枚、二枚・・・」と数えていたり、外国人向けのお土産として売られているライターなどの面白サダムグッズでからかっていたり、一見言論の自由、表現の自由を謳歌しているようには見える。
しかし「シスターニがこうしろと言っていたから」など、相変わらず指導者にすがる体質も見受けられるし、消え去ったサダムの肖像の代わりに、イマームフセインの肖像が巷に溢れているのを見ると、首のすげ替えによって、無意識下の喪失感を埋め合わせようとしているようにも感じる。
サダムが豊かだったイラクを滅茶苦茶にしたのは事実だが、イラク人の無意識の幻影がサダムの権力の爆走を助長し、そこにアメリカを筆頭とする国家としての欲望が絡み合い、また国際社会、とりわけ近隣諸国の指導者たちの無責任さが相俟って、あれほどの暴君に育て上げられていたのかもしれない。
決して正当化できない先制攻撃
あの国際合意なきアメリカによる先制攻撃に身をもって反対し、HUMAN SHIELDS(人間の盾)として戦火の中を彼らイラク人と共に過ごしてから約一年。今では共に汗を流しながら、彼らの声に耳を傾け続けてきた。サダム時代、とりわけ湾岸戦争以降一五〇万人以上のイラク人が亡くなったという経済制裁下に刻み込まれた彼らの苦悩はあまりにも深く、その恐怖を共にしていない私にとっては、ようやくその深淵の一部を垣間見た程度に過ぎないが、国際社会の一員としてあまりにも無関心だった自分を振り返ると内心忸怩たるものがある。国際社会としてイラクの人々のことを真剣に考えれば、あのサダム体制と経済制裁を何とかしなければならなかったことは間違いないと思う。
しかしそのサダム政権を取り除くことができたからといって、あの先制攻撃を正当化するには、その代償があまりにも大きいのではないだろうか。その選択の結果、良くなったところだけを抜き出して、そのとった選択が最上のものだったとは決して言えないはずである。
戦争前にアメリカCBSニュースのダン・ラザーがサダムに、インタビューをした際にサダムは、「ブッシュとテレビ討論でもなんでも話し合う用意がある」と提案していたが、その選択肢を反故にしたのはアメリカ側である。全ての選択を試みた結果の最後の手段としての武力行使だったとは、とても言えたものではない。
自力で国を造っていけるイラク人
そもそも開戦の最大の理由となった大量破壊兵器はいまだ発見されていない。きっと単に開戦の理由にこじつけたに違いないのだろうが、「いやとっくに見つけていて今頃こっそりシリアにでも持っていってるんだろ」「大統領選挙の直前に見つけたって言うんじゃないか」などいう陰謀論好きなイラク人の皮肉めいた見方もある。
いずれにしても武力行使という国家としてもっとも重大な決断を、いともいい加減な推測に基づいて始めたこと自体が大きな間違いだったからこそ、それに続く占領政策もこのように破綻したものになってしまっているのではないだろうか。
ここしばらくは混沌とした状況が続くのかもしれないが、もともと豊かな天然資源と、長き歴史に根付いた揺るぎない文化、そして人間の逞しさを見ていると、「この国の人々は自分たちでしっかりとした国を造っていけるだろう」と、長期的な未来には楽観的になれる。もちろん、ウラン兵器による放射能汚染という不可視の脅威のことを考えると、そんなことも言えなくなってしまうのだが。
危ないといわれている今だからこそ、彼らは国際社会からの協力を必要としている。この支援活動をきっかけに、お互いを知り合う文化交流の基盤を創り、これからも彼らの未来を共に考えながら付き合っていきたい。