[情報] 映画評『ボウリング・フォー・コロンバイン』
──評者:齋藤 恵美子
アメリカ中を震撼させた、コロンバイン高校の生徒二人による銃乱射事件。この映画はコロンバイン高校の事件を発端に、アメリカの銃社会そのものにメスを入れたドキュメンタリーである。タイトルには、彼らが事件の直前にボーリング場に行っていたことから、「みんな事件をロックやテレビのせいにするのに、どうしてボーリングのせいにしない?」という皮肉が込められている。
取材方法は監督自らが突撃取材を行うというもので、その対象は銃を販売しているKマートやロックスターのマリリン・マンソン、武器を製造するロッキード社、全米ライフル協会と多岐にわたる。そして監督の目線は犯人の内面よりも、彼らを取り巻く環境、ひいてはアメリカという国が持つ性質そのものの考察へと広がっていく。
映画を見て海の向こうの私たちは、アメリカで銃を入手することがいかに容易かを知り、その事実にまず驚く。銀行では口座を開いた客に銃がプレゼントされ、スーパーマーケットで銃が入手できる。なるほど、ここまで社会に浸透していれば、銃犯罪が多いのも当然かとも思うが、監督はそんな安易な結論には至らない。興味深いのは隣国カナダとの比較だ。カナダは実は国民の五人に一人が銃を持つ銃社会である。しかし銃犯罪の件数は米国と比べて格段に低い。
それはなぜか? 監督は米国の歴史的背景も含めながらこう考察する。最初にアメリカに上陸した白人は、土地を奪うためにたくさんの先住民を殺した。さらに奴隷制度が崩壊すると、復讐をおそれて多くの黒人を殺し、白人は安全な郊外にかたまって、家には銃を備えつけた。そして現在では同人種も信用できなくなり、たくさんの銃を持つことでしか人々は安心できなくなっているのだと。そう、アメリカ人の『恐怖心』こそが、すべての根底にあるのではないかと彼は考える。そしてそれを煽るように、マスコミは毎日凶悪な犯罪ばかりを報道する。驚くことに、アメリカの犯罪件数は年々低下の一途をたどっているという。
しかし、人々の恐怖は増すばかり。九・一一のテロで、それは最高潮に達している。テロの疑いのある国を片っ端から攻撃し、一国で全人類を何回も絶滅させるだけの武器を持つ『恐れる国』、アメリカ。しかし武器を持って得た安全は、決して平和を生まない。危険だと疑いのあるものを徹底的に取り締まり、潰していくことだけが本当に犯罪やテロを減らす方法だろうか? むしろその原因になる、不満を減らす社会にすることの方が大切ではないだろうか? この映画を見てそんなことを考えさせられた。