[海外] パレスチナ/地雷処理体験記・最終回
爆破処理した地雷を前に「こんなモノ掘ってたのか」
地雷の始末ですが、まず対人地雷は、状態の良い物は、TNT火薬を抜いて地雷博物館の展示物用に持って帰り、残りは爆破処理してしまいます。
持って帰る分を除いて、再び信管を装着し、長いロープで木に吊るした砂入りペットボトルを上から落として爆発させます。時々破片が飛んで来るので、木陰に隠れる。館長が「いくよー!三・二・一!」と叫び、その後「バンッ!」という、爆竹の音を大きくしたような爆発音が聞こえてきました。
爆発した所に行ってみると、火薬の匂いが辺りに立ち込め、地面に三〇a程の穴が空いていました。…地雷は跡形も無く消えています。「こんな物せっせと掘り返してたのか…!」と思うと、改めて背筋が寒くなります。
一方、対戦車地雷や不発弾は、破壊力が段違いなので、爆破処理はしません。対戦車地雷はその場で解体。TNT火薬は石切り業者(採石に使うらしい)に売り、信管は対人地雷の爆破処理の時に、一緒に吹っ飛ばす。不発弾の方は道具がないので、その場で火薬を抜くことが出来ず、そのままシェムリアップまで持って帰ることに。いくら信管が無く、火でもつけない限り爆発しないとはいえ、火薬がパンパンに詰まったロケット弾を担いで帰るのは、正直あまり気持ち良いもんではなかったです。警察に止められて荷物チェックでもされようもんなら、エライことになります。「見つかったら何て言い訳するんだ、こんなもん 」って感じです。
今回は、作業終了後そのままシェムリアップに帰ることになりました。正直かなり疲れていたので、これはありがたかったです。帰って来てつくづく思ったこと。
「…よく生きて帰って来れたな」
地雷撤去とは人の命を危険にさらす行為なんだ
緊張感と恐怖や、地雷を見つけた時の達成感、そしてシェムリアップに帰って来た時の思わず「俺は生きてるぞ!」と大声で叫びたくなる様な喜びと解放感は、今までに味わったことのないものでした。危うく死にかけていたにも関らず、あんなに「生きて帰りたい!」と思ったにも関らず、今はまた、あそこに戻りたいような気さえします。
けれども、初めて出会ったことや、殆どなんの実技訓練もしてない事を差し引いても、地雷を前にして全然冷静でいられなかった事を考えれば、この方法でこのままやってたら「一カ月と持たずに死ぬな」というのも、ほぼ確信に近い強さで感じました。
地雷原は己が選んできた場所だったし、無様ではあったかもしれないにしろ、とにかくその場に立てた事は嬉しかったです。
けれどもそれは(撤去方法にかなり問題があるにしても)、人の命を危険にさらす行為でもありました。それだけに、またあそこに戻っていいもんなのか、すごく考えさせられました。何はともあれ、あと一カ月ほどしたら、日本に帰ろうと思っています。
現在カンボジアでは、官営地雷撤去団体のCMACや、イギリスのNGOのMAG、Hello Trust等が撤去作業にあたってますが、最近、地雷博物館に来たHello Trustのスタッフが「どんなに早くても三〇年はかかるだろう」と言って嘆いてました。
最後にここまで読んでくれた方、本当にお疲れさまでした。ではまたお目にかかりましょう! (U)
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