[コラム] 心の苦しさを出せない人は他人や自分をも傷つける
脱暴力を呼びかける 第12回「男のための脱暴力グループ」 水野阿修羅
「ぐち」「陰口」は力無き人々の抵抗手段
家庭内暴力をふるう人には、「ぐち」を言わない人が多い。「言えない」のかもしれない。負けず嫌いなせいかもしれないが、「男らしさ」に縛られた人も多い。「弱音をはくな」「泣き言を言うな」と言われ続けると「ぐち」が言えなくなる。
「ぐち」は心の苦しさの表出だから、「ぐち」を言えない人は、他人を攻撃するか、自分を傷つける。「弱音をはいてもいい」とされてきた女性は、社会的差別を受けた時、「ぐち」をこぼして生き抜いてきた。相手が強すぎて直接言えない時は、「陰口」という形で抵抗してきた。「陰口」も積もり積もって数が増せば、いつか問題が顕わになって世の中を変えてきた。「ぐち」や「陰口」は、力のない人たちの抵抗の手段だ、と私は思う。
逆に「ぐち」のいえない男たちが、強い者に向かっていけない時、自分より弱い者への暴力や、自分自身に向かう。自殺や胃カイヨウなどの内蔵疾患がそれだ。最近の中高年男性の自殺数のすごさ。昨年は二万人を超えたと聞く。
ぐちの言えない人は、ぐちを聞くのも苦手な人が多い。「ぐち」を聞きたくない人がよくやるのが、「答」を用意して反感を買うことだ。言う側は、しんどさや怒りを共感して欲しいのに、「答」や「指示」をえらそうに言われると腹が立つものだ。
「ぐち」は感情だから、オーバーに言うことが多い。すると、反論派の人は「事実と違う」と揚げ足をとったりして、また反感をかう。
反論はしないが、聞きたくない人は、生返事か、返事しなかったりする。「はいはい」はその悪い例だろう。早く「ぐち」を終わらせようとして返事をするのだが、共感はしてない、という表明でもある。
共感する言葉は、「そうやねえ!」「わかるよ」「ひどいねぇー」「しんどいねぇー」といった感じだろうか。共感すると相手の気持ちがおさまって、「ぐち」もおさまることが多い。
「物乞い禁止令」とイラク開戦
「聞き上手」になるのは以上の方法だが、聞くばっかりは誰でもしんどい。自分も言うと楽になる。
「ぐち」を言い慣れない人は、なかなかぐちれない。「ぐち上手」になるアドバイスは、@いい人をやめる。いい人は人の悪口が言えない。A後のことは考えない。「こんなこと言ったら、後でどうなるだろう?」と考えると言えなくなるので、考えない。B正論で言わない。好き嫌いで言う。正論で言うと、感情がエスカレートしてしゃべってる内に、どんどん怒りが強まる。「好き嫌い」で言うと聞く人も聞きやすい。
「正論」を使ってぐちを言う人もいる。そういう人は、「自分はぐちってない」と思っている。
「感情」に否定的な人は、自分の「感情」を「正論」で言う。美意識の違いによる嫌悪感なのに、「正論は一つしかない」と思ってる人は、相手を許容できない。文化の違いでも同じようなことがおきる。
「人に助けを求めるのは恥だ」と思う美意識の人は、人に物乞いをする人を嫌悪する。
イスラム世界では金持ちから物をもらうのは、「ザカート」(喜捨)として、「あたり前」だとされている。礼も言わない。それを文化の違いだと理解しない人は、「許せない」となる。アメリカ・サンフランシスコ市では、「物乞い禁止令」がつくられたという。ブッシュは、イラク戦争を決断した。(つづく)